どこまでも広がる

2018年11月4日

伊藤大輔牧師

使徒言行録15章1-11節

本日は召天者記念礼拝。

先に召された信仰の先達を覚える日。

その信仰とはいったいどのようなものなのか。

教会の信仰を、この記念の日に確認したいと思います。

 

そのために教会の歴史を振り返ります。

「旧約聖書、ユダヤ教」

「新約聖書、キリスト教」

この二つの聖書、二つの宗教はある時をきっかけにまとめられ整えられていきました。

今から2500年前、旧約聖書、ユダヤ教はまとまります。

2000年前、新約聖書、キリスト教はまとまります。

2500年前、2000年前、500年の開きはありますが、どちらも同じ状況を経験します。

戦争、敗戦。

2500年前はバビロニア帝国と戦い敗れます。

2000年目はローマ帝国と戦い敗北します。

敗戦。

信じていたものに裏切られる体験です。

土台が、底が崩れ去る体験です。

私たち311の時、誰しもがつぶやきました。

「神などいない」

そのつぶやきは2011年が最初ではありません。

イスラエルは2500年前、2000年前、叫びました。

「神などいない」

その状況で生まれたものが「聖書」「ユダヤ、キリスト教」です。

 

本日の聖書に記されているのは使徒たちが開いた会議の様子です。

ただこれも記された年代、最初の読者は敗戦を経験した者たちだったと考えられます。

敗戦を経験した者はここをどのように読んだのか。

それが、教会の信仰とかかわるところです。

 

異邦人が信仰を持った。

それを喜ぶのがペテロ、パウロ達使徒です。

ところがファリサイ派の人々は

「異邦人が私たちの割礼を 受けなければ認められない」と言います。

両者はぶつかります。

最初の読者にとって異邦人とは誰だったのか。

彼らが真っ先に連想する異邦人、

それはローマ人であったはずです。

敵です。

愛する国土を破壊し、家族の命を奪い去ったもの、

それが異邦人、ローマ人です。

ファリサイ派の主張、

「価値観を共有するものでなければ信用できない」これは至極まっとうな常識的見解です。

これに対し非常識なのは使徒たちの方です。

敵を受け入れる。

そのままで受け入れる。

なぜ使徒たちは非常識な選択するのか。

神がそうしたからです。

神が受け入れている。

神がしている。

だから私も受け入れる。

 

無意味な体験

拒絶をしたい出来事

絶望しか見えないものであっても

そこに神がいる。

神が働き、

神が語りかけ、

私の決断を待っている。

信仰とは何か。

神がいる。

どんな時にも、どんなところにも。

闇の中で光を信じる。

先達が守った信仰です。

教会が守り続けてきた信仰です。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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