1月7日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書2章1〜12節
教会の暦・公現日
イエス・キリストが公に姿を表した日。
博士たちと出会った日。
博士との出会い
この物語は私たちに何を告げているのか。
東方の占星術の学者たち。
ある日、今までに見たことのない星を発見する。
これまでにないことが起こる。
その星を追いかければ、今までにないことを目撃できる。
博士一行は星に導かれエルサレムにやってくる。
「新しい王様はどこにいらっしゃいますか」
王であるヘロデは自分の知らないところで王が誕生したことを外国の者たちから聞かされて動揺する。
エルサレムの者たちも不安になった。
自分たちの知らない、自分たちについての情報を持っている。
おそらく博士たちは一個大隊に匹敵するような部隊で移動してきた。
その者たちが未知の情報を持っている。
ヘロデは尋常ではいられない。
王は一人。
自分と自分以外のものと、どちらが王なのか。
王は自分だ。
ならば自分以外のものが王になることを阻止しなければならない。
新しい王を亡きものにしよう。
王は密かに決意する。
預言者の言葉に「ベツレヘムにメシアが生まれる」との言い伝えがあることを博士たちに告げる。
「新しい王の情報を詳細に報告してほしい」と告げて送り出す。
博士たちは主イエスとその両親に出会い、携えてきた贈り物をささげる。
夢で「ヘロデのところに帰るな」と告げられたので彼らは別の道を通って帰って行った。
この物語は私たちに何を告げているのか。
主イエスの誕生をめぐって二つのグループが現れている。
一つは主イエスを拝みにきた東方からの博士たち。
もう一つはヘロデを中心とするエルサレムの人々。
ヘロデはユダヤの王、ユダヤ人の代表。
主イエスとその家族、ユダヤ人。
ヘロデ王の元で暮らすもの。
そのヘロデたちはイエスを亡き者にしようとする。
同じ国のものが、同じ民族のものが、最も近くのものがイエスを殺そうとする。
「お前などいらない」
近くの者の言葉。
これはイエス・キリスト固有の物語か。
おそらく聖書は個別、固有の物語を残すことに意義を感じてはいない。
これは誰かの物語ではない。
あなたの物語
私の物語。
近いものが私に言う。
「お前などいらない」
人生の中で何度か聞いたことのある言葉。
その時、私たちはどうするか。
近くのものを大事にしようとする。
近くのものの批判に耐えられるように、近くのものの否定を和らげるように
近くのものに愛されるように、私を修正していく。
何をしているのか。
近くのものを意識して、近くのもののことばかりを考えている。
近くのものに心が奪われている。
近くのものは私を受け入れない。
それが当たり前だと主イエスの誕生の物語は告げている。
遠くで星を見つけたもの。
遠くから遥々イエスに会いにやってきた。
イエス様だから起こったことか。
これは主イエスの物語でもあるが、私の物語でもある。
遠くの誰かがイエス様とつながっている。
遠くの誰かがイエス様を待っている。
遠くの誰か。
物理的に離れた距離の遠くの誰か。
遠い時間の彼方、
これも遠くの誰か。
遠くの誰かがあなたと会いたがっている。
あなたは地の塩、世の光
主イエスの生涯は自分の使命、賜物を全うした生涯。
塩を光を全うした。
そこではユダヤの風習、常識と相反することも行った。
表面上の律法も守らなかった。
近くの誰かのご機嫌など気にしてはいない。
本当の自分をただ貫いた。
有罪の判決を受けて十字架で命を落とした主イエス。
近くのものたちによって命は奪われた。
その主イエスの教えを、考え方を残そうと思ったものたちが聖書をまとめた。
ローマの支配が強まり、自分たちの文化も、国土も失われようとしている。
死刑囚の教えなどなんの役に立つのか。
目の前に迫った現実にはなんの効力もない言葉がまとまられていった。
近くのものには意味のないイエスの言葉がまとめられた。
2000年の時間が流れる。
エルサレムから遠くな離れた東京・代官山
今やこの街だけではなく世界中のどこにでも教会はある。
近くのものに否定をされたイエスの言葉
遠くへと伝わって行った。
遠くの誰かとつながっていった。
遠くの私とつながっている。
この物語は私の物語。
私たちは何を目指して生きるのか。
近くのもの
もちろん、これと争う必要はない。
だが、これに心奪われれば、会うべき人と会えない。
私には私の仕事がある。
私の使命がある。
私が出会わなければならない遠くのものがいる。
遠くの誰か。
神が待っている。
会うべき方と会う。
主イエスの生涯
私の生涯
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