1月28日 主日礼拝

1月28日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

ルカによる福音書 5章33〜39節

伝統と今
これまでとこれから。
私たちは時間の節目を意識せざるをえないことがある。
どちらを優先するのか。
あるいは両方をうまく融合させるのか。
新しいぶどう酒は新しい革袋に入れる。
古いものは捨て去れ。
そうとも聞こえる。
それがイエス様の本意なのか。
聖書は確かな世界観を告げている。
主イエスも同じ世界観を共有している。
この世界は神が造った。
その神はこの世界を見て「良し」と言われた。
この世界は良いところ。
それが聖書の世界観。
ところが私たちは世界に怯えている。
良いと思っていない。
不安を抱え、恐れを持って世界と対峙している。
恐ろしい世界に対して自分はちっぽけなもの。
何かを手に入れなければ
自分以外の自分を大きくしてくれる何かを。
アダムとエバは「善悪の知識の木の実」を手に入れた。
私たちの「善悪の知識の木の実」富、権力、名声・・・
何か自分以外のものを手に入れなければ。
執着が始まる。
恐らく主イエスも、この執着と向き合った。
そして執着を乗り越えた。
執着を乗り越えた者の言葉だとしたらどう聞こえるか。
みんなが断食をしているのにどうしてあなたたちは断食をしないのか。
人々がイエスに尋ねる。
これに対して主イエスは答える。
花婿がいる前で断食ができるか?
どうして人はわざわざ苦しい断食をするのか。
何かを得るため?
人に褒められたい?
しきたりを大切にする?
自分以外のものを抱えこもうとしている。
世界が怖いからそうしているのではないか。
断食はいけないと言うのではない。
「断食はしない」という決意に心が奪われているわけではない。
花婿が奪い去られる。
悲しいことがあれば断食をする。
そこでしたいと思うことをする。
自分以外のものと自分をどうして合わせようとするのか。
新しいものと古いもの
それをどうして合わせようとするのか。
何かを気にして、何かを心配して本来、合わないものを合わせようとしているのではないか。
新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしないでしょ。
新しいものは新しいもの。
簡単なこと。
新しい、古い、どちらが正しいではない。
私がその時、何を選択するか。
何にも怯えずに選択するか。
新しいものは新しい
古いものは古い
私は私
あなたはあなた。
執着がなければ整理がつく。
複雑なのは世界ではない。
怯えている私の心が世界を歪に見ているだけ。
ありのまま
世界は良い。
その信仰が世界をちゃんと見せ
私のしたいこと
するべきことを見せてくれる。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000