2月4日 主日礼拝

2月4日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

ルカによる福音書 6章6〜11節

私たちはどんな一週間を過ごすのか。
どんな時間を
どんな一生を過ごすのか。
安息日を覚えてこれを聖とせよ。
一週間の中の一日だけ、安息日とする。
何もしない日とする。
聖書の舞台となっている世界の習わし。
その起源は創世記。
世界を神が造っていく。
光を、星を、大地を神が造っていく。
植物、動物、命あるものを造っていく。
人が六日目に造られる。
ご自分の造られたものを神は見渡し、それを「良い」とされた。
そして七日目
神はご自分の業を離れて安息をした。
神が休まれた。
それ故に人もまた休む。
これがその始まり。
ところが、そうと分かっていても、なかなか人はそれを守れない。
休むことが大事
休まなければ。
いつしか、休むこと、安息日が規則、決まりの中に置かれていく。
「安息日はこれこれのことをしてはいけない」
安息日の決まりをちゃんと守れれば安息が実行される。
安息日の決まりが出来上がった。
安息日にイエスは会堂に入る。
ファリサイ派、律法学者が待ち構えている。
会堂に集まる人々の中に「手の萎えた人」を連れてきている。
ファリサイ派、律法学者は見張っていた。
イエスが手の不自由な人に何かをする。
安息日に何かをする。
それは安息日の規定を破ること。
この社会の秩序を犯すもの。
社会を壊すものとしてイエスを追放しようと。
彼らの目論見を見破ってイエスは問う。
「安息日に許されているのは正義を行うことか、悪を行うことか。
命を救うことか、滅ぼすことか」
なぜ、安息日の守り方の規定が生まれたのか。
神様を大事にしているから。
神様を大切にしょう。
こうしないと神様が悲しむ。
神様に喜んでいただこう。
良い心がけ。
だが、ここにあるのは神との取引。
更に言えば、なぜ取引が必要なのか。
取引という緊張関係がなくなると世界が壊れてしまう。
神様を怒らせると、不幸がやって来る。
なんとか神様を怒らせないように、緊張関係を持続させよう。
ここにある世界観は私たちが放っておくと神は怒り出す。
何もしなければ悪いことが起こる。
世界観
世界の基底
そこにあるものは「悪い」ものという考え方。
天地創造の物語。
世界はどういうところとなっていたか。
神が見て、良いと言われたところ。
この世界は良い
それが世界観。
安息日とはどういう日か。
神の安息と同じことをする日。
世界は良いと思い、満足、安心する日。
私たちの日常では世界の恐ろしさばかりに心が奪われる。
心配、不安、恐怖
私たちはそればかりを感じている。
安息日。
心配ばかりの毎日であっても「世界は良い」と思い出す。
恐怖、心配、
心に貼り付いたおもり。
世界は良い。
そう信じたら
おもりを抱えていることが愚かに思えてくる。
心に貼り付いたものを剥がしていくことができる。
自分以外のもの。
批判、評価、冨、地位、
人のことば
人の考え
自分以外のもの。
それは自分には必要ないと気が付いてくる。
自分以外のものを剥がした時に何が残るのか。
人の本質が残る。
愛する。
それだけがあらわになってくる。
手の萎えた人を前にしてイエスは語りかける。
「手を伸ばしなさい」
その人は言われたとおりにした。
私たちはどのような一週間を過ごしているのか。
どのような時間を
どのような人生を過ごしているのか。
安息日を持っているか。
心に貼り付いたものを見返す日を持っているか。
貼り付いたものを剥がせるように世界を信じる日を持っているか。
愛が湧き上がる日を持っているか。
安息日の心
愛する
すぐそばの人の力になる
助けになる
共に喜ぶ
平和が生まれていく

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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