6月9日 主日礼拝

6月9日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

使徒言行録2章43~47節

最初の教会の様子を記す使徒言行録
それは単なる記録ではない。
教会の在り方
世界の在り方を語る物語。
皆が財産を売り払い、ひとつになっていた。
この言葉は記録ではない。
世界の在り方を記している。
ここに至るまでの出来事。
使徒たちが聖霊に満たされて外国の言葉を語った。
外国
こことあそこは違う
離れている
つながっていない。
境界線がある。
それが外国。
本当につながっていないのか。
物語は問うてくる。
使徒たちは口にしている。
離れていると思われている国々言葉を
聖霊によって話している。
本当につながっていないのか。
つながっている。
境界線はあるのか。
ないのではないか。
同じなのではないか。
これに続くペテロの説教。
イエスとダビデは知り合っている。
1000年の開きのある二人。
知り合いのはずがない。
時間は過ぎれば、
離れれば関係はなくなっていく。
この時間とあの時間は違う。
イエスとダビデ
離れているはずの両者。
その両者が結びあっている。
時間は離れているのか。
本当はつながっている。
時間に区切りはない
同じなのではないか。
物語は問うている。
時間、空間
そこには境界線はないのではないか。
今日の聖書の物語。
財産を売り払いひとつになっていた。
この物語の意図はなにか
人はなぜ財産を蓄えるのか。
怖いから。
遠くのものが怖いから。
これからが怖いから。
離れているものが怖い。
違いが怖い。
本当に違いはあるのか。
もし違いがないのなら。
時間と空間
離れていないなら、
どうして怯える必要があるのか。
なぜ蓄える必要があるのか。
何にもしがみつく必要はないのではないか。
自分と他者
区別する必要はないのではないか。
離れていない。
その状態を聖書は愛と呼んできた。
時間は分かれていない。
それを聖書は永遠と呼んできた。
永遠
感情のほとばしりでも不老不死でもない。
私たちが当たり前と思っている「区別」「差異」「境界」
その向こうに広がっているもの。
握りしめている「常識」「普通」「当たり前」を問うことができるか。
愛と永遠のあるところ
それがまことの世界。
使徒言行録は世界のあり方を語る物語
私のあり方を問う物語

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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