10月27日 主日礼拝
10月27日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録 8章26ー40節
洗礼とは何か
フィリポはエチオピアの宦官にイエス・キリストについて話す。
すると宦官は洗礼を受けたいと申し出る。
フィリポは、宦官に洗礼を施す。
なぜ宦官は洗礼を求めたのか。
この直前の物語。
魔術師シモンはペテロの聖霊を下す行いを見てそれをお金で買わせてくれと願い出る。
その発言をペテロは激しく叱責する。
何がいけなかったのか。
ペテロの技をお金と交換できると思っていた。
この世界は交換で回っていると考えていた。
交換をペテロは否定する。
さらにその前の物語
時の権力者に捉えられたステファノ
裁判の席でイスラエルの歴史を語る。
ヨセフ、
夢を解くもの
ヨセフの賜物
ヨセフはその賜物を用いて兄弟から否定される。
エジプトに売られ、その地でも賜物を用いる。
だが、そこでもヨセフは受け入れられない。
受け入れられなくとも、ヨセフはその賜物を用い続ける。
兄弟たちからの否定
エジプトでの拒絶
ヨセフは兄弟たちの言葉に従うこともできたはず。
エジプトの人々に可愛がられる方法も見つけられたはず。
それは自分の生き方を変えること
自分の賜物を彼らの言葉と交換をすること。
モーセ
神から民をエジプトから導きだせと命じられる。
それが彼の使命、彼の賜物。
その賜物を用いると、モーセは人々から拒絶をされる。
あげくに別の神様を設られて追放されそうになる。
それでもモーセは民を導き続ける。
モーセは自らの賜物を用い続ける。
モーセも交換ができたはず。
民の言葉に従って自分の生き方を変えられたはず。
神の言葉と自分の賜物を交換することもできたはず。
ヨセフ、モーセ
交換の機会はいくらでもあった
だが、彼らは交換をしなかった。
この物語を語っていたステファノ。
彼も時の権力者に脅迫されていた。
自分の言葉を捨てろと
ステファノも交換をしようと思えばそれができた。
権力者の言葉を受け入れる。
自分の使命と権力者の言葉を交換する。
それができたのにもかかわらずステファノはそれを選択しなかった。
エチオピアの宦官が読んでいたイザヤ書の言葉
苦難の僕の詩
誰からも理解をされず、ただ屠り場へと引かれて行くものの詩。
イエス・キリストについての預言
人から批判をされようとも、ただ自分の使命だけを貫いた者の詩。
エチオピアの宦官は、なぜ洗礼を求めたのか。
ここに何を見出したのか
イスラエルの歴史を聞いたエチオピアの者。
宦官という性質
預言という古い言葉
ヨセフ、モーセ、イエス・キリスト
この者たちの物語、イスラエルの歴史。
それはイスラエルの者だから分かるのではない。
イスラエルでもエチオピアでもわかる。
どこでもわかる。
イスラエルの歴史
宦官、去勢をされた男でも、女でもない者
その者が分かる。
男性だからわかるのではない。
女性だからわかるのでもない。
特定の性にしか分からないものではない。
誰でもわかる。
古代の預言
その時代だからわかるのではない。
今だからわかるのでもない。
いつでもわかる。
どこでもわかる。
誰でもわかる。
いつでもわかる。
エチオピアの宦官はイスラエルの物語に何を読み取ったのか
どこでも、誰でも、いつでも通用するもの。
ここにあるのは人類の生き方だ。
交換をして蓄えて武装する。
何と交換をするのか
時代、場所、人によってそれは様々
何と交換をすれば良いのか、
それに心を配る事は人の生き方ではない。
人が本当にしなければならないもの。
人類が歴史の中で紡いできたもの。
それは己れの使命を全うすること
本当の人になる。
宦官は今まで自分が人であることを疑ったことはなかった。
だが、自分が人だと思っていたものは実は人ではなかった。
交換に心奪われ、それを目指しているものは人ではない。
人類が継承してきたものは交換のできない私を生きること。
本当の人になる。
生まれ変わらなければならない。
洗礼を受ける。
洗礼とは何か
偽りの人から真の人になる。
人類が30万年
守り続けてきたもの。
交換の系譜ではない。
何とも替えられない自分を生きる。
30万年、継承して今がある。
私を生きる
人を生きる
洗礼を受ける。
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