2月23日 主日礼拝
2月23日
主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録 11章1~18節
平和を実現する。
どのようにすればできるのか。
使徒言行録の物語。
ユダヤ人と異邦人の間に関係が生まれる。
迫害をしているものと迫害をされていたもの間に関係が生まれる。
物語には一つの構造がある。
神が語りかけている。
対立する両者、
それぞれに神が語りかけている。
そして境界線の向こう側にいるもの。
敵
そこに行けと神が語りかけている。
彼らは一様に拒む。
境界線の向こう側、そこに行ってどうなるのか。
そこに行っても何も生まれない。
彼らは拒む。
だが、それでも神はそこに行けと言う。
その言葉に従い、境界線の向こう側に出向いていく。
するとそこで関係が、交流が生まれるのがこの物語の形。
この形は何を読者に告げているのか。
私たちは「情報」を対話の題材、主題としてきた。
「情報」
これまでに積み重ねられてきたもの。
功罪、歴史、印象。
あの人はこんなひどいことをしてきた。
あの人はこんな業績がある。
「情報」を材料を元に対話をしてきた。
「情報」を元に対話、交渉、時に平和への入口を探してきた。
使徒言行録に登場する「彼ら」もそれは同じ。
異邦人、こんな人。
サウロ、こんな人。
だから彼らとは相いれないと。
だが、神はそれを押し切り、とにかく行け、と言う。
サウロの所に出かけて行ったアナニヤ。
異邦人の所へ出かけて行ったペテロ。
彼らはただ神の言葉、
神からの約束を信じて出かけて行った。
その約束は向こう側のものにも与えられていた。
向こう側のもの、その者も神の言葉を、神の約束を持っている。
境界線をまたいで歩み寄る両者
彼らの頼り、彼らの共通項は「神の約束」
神の約束とは何か。
神から与えられた使命、賜物。
私だけが知っている、私だけが信じている「本当の私」。
私たちはこの「本当の私」を捨て去る。
自分の業績、人からの評価
「情報」で「本当の私」を塗りつぶし、いつしか「情報」が本当の私と思い込む。
情報のすり合わせ、情報の交換では何も生まれない。
平和は実現できない。
「本当の私」を取り戻す。
「本当の私」で出かけて行く。
「本当の私」が向こう側の「本当の私」に語りかける。
情報の品評会ではない。
魂と魂が直面する。
本当の私と本当の私が向き合う。
使徒言行録はその時、
異なるものの間に、敵同士の間に関係が生まれたと語る。
平和はどのように実現されるのか。
「本当の私」と「本当の私」が出会う時に生まれる。
この物語は本当なのか?
「本当の私」はこの物語をどう読むのか
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