3月2日 主日礼拝

3月2日

主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師

使徒言行録 11章19~30節

世界はどのようにできているのか。

迫害に遭う。

自分の信じるもの。

自分が正しいと思うもの。

それは自分だけに分かる言葉。

それ故に人には分からない。

人には間違った言葉に聞こえる。

あなたは地の塩、世の光。

人と違うもの。

自分の塩、光に気が付いても、

それを塩のままに持っているものはいない。

どこにでもある砂にする。

味を捨てて砂になる。

自分の光。

人と違う。

それゆえ光を隠す。

机の下に隠して光を消して皆と同じになる。

闇になる。

塩を持つもの。

光を放つもの。

迫害される。

初代の教会。

彼らも迫害をされた。

迫害をされ散り散りに逃げて行った。

それでも言葉を捨てないものたちがいた。

アンティオケアでその言葉は受け入れ出していた。

これを知ったエルサレムの教会のもの。

アンティオケアに人を派遣する。

バルナバ。

教会の信頼を得ているもの。

アンティオケアの人々を励ますため。

教会を確立するためバルナバを派遣する。

この任に当ったバルナバは一人の人物を探す。

他者の言葉に晒されても、自分を見失わないもの。

自分の塩、光を捨てないもの。

かつてユダヤ教の指導者としてその責務に忠実であったが、神を求めるうちに

ユダヤ教の語る「神」がこの世のものと変わらぬものと気が付いていった。

功績をあげれば褒めてくれて、失敗をすれば怒りを表す神。

原因と結果の因果律があるもの。

取引が成立するもの。

それが神か?

神ではあるまい。

神は何も変わらない。

人が何をしでかそうが、しなかろうが何も変わらない。

変わらず人を愛し、世界を良きものとしている。

広く大きい。

イエスとの出会いにより、神の大きさに気が付いた者。

神を求め続ける。

その生き方を変えない。

ユダヤ教を批判し、命を狙われ

教会の者にも受け入れられない孤立した者。

それでも自らの信じるもの、真理と思えるもの

それを決して捨て去らない。

人に迎合して自分をあきらめない。

塩、光を失っていないもの。

バルナバはその者を探した。

サウロ。

バルナバはサウロを連れてアンティオケアに行く。

迫害の中で、避難、批判の中で自分を失わない者。

サウロが必要だった。

教会は自分を明け渡さない者、その者たちの働きでできている。

教会の話ではない。

世界も同じ。

世界は自分を信じるもので、できている。

自分だけが持っている塩、光

神が必要だから与えたもの。

それをもし捨て去るのなら、それは世界から失われていく。

世界に必要なものがなくなっていく。

私の信じるもの。

私だけが持っているもの。

それが世界を造っていく。

私が世界を造っていく。


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