3月23日 主日礼拝

3月23日

主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師

受難節第三主日

ルカによる福音書22章47~53節

イエスを捕えるために群衆がやって来る。

祭司長、律法学者、時の権力者たちもその中にいる。

その先頭に立っているのがイスカリオテのユダ。

ユダがイエスに接吻をしようと近づいてくる。

「接吻で裏切るのか」

とイエスは問う。

ユダとは何者か。

表と裏がある。

イエスの弟子でありながら、イエスの命を狙う。

会計をごまかして、畑を購入する。

二つの自分、複数の自分を使い分ける。

分裂している人格。

誰しもに心当たりのあること。

ユダの振る舞いは決して珍しいことではない。

だが、それが人のあり方か?

イエスは祈る。

自分と神が離れていること

その距離を近づけようと祈る。

血のような汗を流す。

捕えようとする群衆。

イエスの弟子の一人が切るつける。

直面している現実が自分たちの受け入れられるものではない意志の表れ。

それをイエスはいさめる。

この現実を受け入れていく。

どのような現実であろうが、それを受け入れていく。

何故か。

神がこの世界を造っていると思っているから。

この世界にあるものはすべて神のものだと思っているから。

神は私とは違う。

違うのだから私にわかるはずがない。

私が分かることだけ行っていくのなら、それは私の世界の中を巡回するだけ。

ユダは二つに自分を使い分けた。

もう一つの自分。

なぜ必要なのか。

自分で世界を設計したから。

この自分だけではダメで、もう一人の自分が必要と考えた。

私が世界を知っていると思えば、幾人もの私が必要になってくる。

私が設えた私

必要なのか。

私が作った私は他者としてすでに存在していないのか。

いるだろう。

なぜ、その者に委ねないのか。

なぜ他者に任せないのか。

なぜ他者を、世界を信じないのか。

神に委ねる。

神を信じる。

世界と、神とひとつになる。

それは自分を失うことではない。

神の思い。

私の使命。

本当の私と出会うこと。

私が私を知ること。

私を知ったら何が起こるのか。

イースターの朝に起こったこと。

私は何にも支配されていない。

何にも怯えず、恐れず、私のするべきこと

神から与えられた使命をただまっとうすること。

私が一番なりたい私になればいい。

受難節に信じたいこと。


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