4月6日 主日礼拝

4月6日

主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師

ルカによる福音書23章26~43節

「神の子なら、自分を救ったらどうだ」

十字架にかかるイエスに向かって人々は侮辱する。

生涯の最後に浴びせられる言葉。

これと同じ言葉をイエスは公の生涯の始まりにも直面している。

荒れ野での40日間の断食。

その後、試みる者がやって来てイエスに囁く。

荒れ野の誘惑。

お前が神の子なら石をパンに変えて食べろ。

自分のために自分の力を使え。

自分を自分で守れ。

自分のために生きろ。

イエスは生涯、この言葉、誘惑と直面していたのではないか。

自分の力を自分のために使え。

イエスはこれを拒絶する。

なぜか。

物語上は「神」を大切にするとなっている。

ただ「神」と考えると、私たちの生活と乖離してしまう。

礼拝の日曜日とそれ以外の日が離れてしまっているのと同じことが起こる。

「神」

これをおおよそ大切なものと置き換えてみる。

正義、真理、平和、愛、美。

おおよそ大切なもの。

おおよそ正しいもの。

私たちはこの大切なもの、正しいもの、が実現してほしいと願っている。

これを実現するためにどうしたら良いのか。

私たちはその答えをすぐに出せる。

がんばれば良い。

私が、がんばれば良い。

私が、がんばらなければならない。

自分の力を自分の信じるもののために使う。

荒れ野で誘惑での悪魔とイエス。

悪魔はがんばれと言う。

自分の力を発揮しろと言う。

イエスはこの悪魔の誘惑を退ける。

反発をするのではない。

別の方法を実行するのではない。

何もしない。

自分では何もしないと言い切り、それを実行する。

十字架の赴くイエス。

神の子なら自分を救え、と人々から揶揄される。

イエスは何もしない。

何もしないことで「神」を表そうとしている。

一番大切な自分の命。

これを自分の力で守ろうとしない。

十字架にかかり、命を落とす。

何もしない結果、大切なものを失った。

十字架から三日目。

イエスは墓穴から出てきた。

命、永遠の命が返ってきた。

私たちは勘違いをしているのかもしれません。

大切なものは自分たちの力で獲得しなければと。

ただ、歴史の中で大切なものが実現したことはありません。

その原因はがんばっているからかもしれません。

私たちが何もしない。

この世界を信頼する。

神を信じる。

この世界は良きところと信じる。

何もしない。

ことによるとおおよそ大切なもの、良いもの

正義、真理、愛、平和、美

それが返ってくるかもしれません。

何もしないことで達成されるものがある。

私の限られた生涯の中で一度試してみる価値はあるのかもしれません。


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