4月13日 主日礼拝
4月13日
主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
ルカによる福音書23章44~56節
世界はどこに向かっているのか。
誰に不利益を与えたわけでもない。
罪を犯したわけでもない。
裁判にかけられるいわれはない。
それでも判決は死刑。
法廷を司ったピラトでさえ、この裁判の違法性には気が付いていた。
それでもそれを止められない。
正義はどこにあるのか。
秩序はどこにあるのか。
無法、感情、本来社会性のないものが社会の流れを決めていく。
世界はどこに向かっているのか。
闇に向かっている。
崩壊に向かっている。
それは物理の世界でも決まっていること。
誰もが避けらないないこと。
この世界は良い。
神の約束から世界は始まっていたはず。
にもかかわらず、世界は悪くなっている。
神の約束と世界、この関係をどう考えれば良いのか。
十字架上でのイエスの最後の言葉。
「父よ、私の霊を御手に委ねます」
これは絶望の言葉か、諦めの言葉か。
その他の解釈はあるのか。
絶対的な闇と直面した時、人はどう振舞うか。
私たちはその時、どうするか。
闇と戦う。
勝ち目はない。
あきらめるか、絶望を抱いて闇に飲み込まれるか。
イエスは戦っていない。
力を込めて生きていない。
何もしない。
最後の言葉は「私の霊を御手に委ねます」
握りしめていない。
自分自身を自分で握りしめていない。
なぜ、自分を守らないのか。
諦めているからか?
信じているからではないのか。
自分で自分を守らなくとも、この世界ならば大丈夫。
世界を信じているからではないのか。
この世界は良い
神の約束を信じているからではないのか。
すべてを手放す。
すべてを委ねる。
命さえも委ねる。
自分が守らなければならない自分のものは何もない。
世界はどこに向かっているのか。
闇に向かっている。
その闇と直面した時、人は何をすれば良いのか。
闇が覆っていても世界を良いものと信じる。
良いものと信じているからこそすべてを世界に委ねる。
委ねたものに何が起こるのか。
次週のイースター礼拝で確認をする。
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