4月20日 イースター礼拝

4月20日

イースター

礼拝説教

伊藤大輔牧師

ルカによる福音書24章1~12節

イエスが十字架で息を引き取ってから三日目。

婦人たちが香料を持って墓に向かう。

墓を塞いであった石が移動され、遺体がどこにも見受けられない。

途方に暮れている婦人たちの前に輝く衣を着た二人の天使が現れる。

「死者の中にイエスを探しても見つからない。

イエスは復活した。

かつてガラテヤで言われた言葉を思い出せ。

人の子は十字架につけられ三日目に復活する、と」

婦人たちは見聞きしたことを使徒たちに伝えたが、彼らは信じなかった。

ただ、ペテロだけが、墓に走り、空の墓を確かめた。

復活とは何か。

イエスの周囲で起こったことをもう一度見直してみる。

イエスがエルサレムに入城する。

人々は大歓迎で迎える。

その人々はピラトの裁判の時に「十字架につけろ」と騒ぎ立てる。

彼らを扇動した祭司、律法学者たち。

もともとはイエスの言葉に興味を持っていた。

だが、彼らの持っていた言葉は神様の褒められるように律法を守ろう。

律法を守らなければ神様に叱られる。

神様は私たちの態度に連動してその態度を還る方。

だから注意しろ、だった。

これに対してイエスの語った神様は

神は私たちが何をしても変わらない。

変わらず、私たちを愛してる、だった。

最初、イエスに好意的だった祭司、律法学者も言葉の違いから段々とイエスへの態度を変えていく。

イエスの弟子たち。

何があってもイエス様に着いて行くと言っておきながら、イエスが捕らえられると、逃げ出し、呪いの言葉さえ口にする。

裁判を司ったピラト。

イエスを釈放しようと思ったが、群衆が怖くなり、その考えを翻してイエスを彼らに預ける。

イエスの周辺で起こっていること。

人々が変わっていく。変化していく。

私たちが日常に聞いている言葉はどうか?

これをすれば成功する、幸せになれる。

それをしたら取り返しのつかないことになる。

子どもの点数から、大人の経済、権力に至るまで、世界は変わるが前提になって語られている。

世界は変わるのか。

変わるが世界の基底にあるものなのか。

天使が婦人たちに言う。

イエスの言葉を思い出せ、と。

その言葉が、今、ここで起こっている。

その言葉は変わっていない。

イエス・キリストの復活。

生きているから死に移行する。

人は必ず変わるを背負わなければならないと私たちは思っている。

復活。

変わらない。

生きていると変わらない。

永遠の命。

世界の基底は「変わらない」

変わるもの、動くもの。

動くから目立つし、気にもなる。そこに「在る」がはっきりする。

だから、意識も向くし、心も奪われる。

変わらない。動かない。目立たない。

あるのか、ないのかすら分からない。

目立たない故、人によっては「ない」とすら言いだす。

変わらないもの。動かないもの。

変化がないのだから途中発生のものではない。

初めからあるもの。

神が世界を造った。

それは極めて良かった。

世界は良い。

それが初めからあるもの。

それは私たちも同じ。

私の中で変わるもの。

それは本当の私ではない。

変わらないもの。

初めからあるもの。

それが本当の私。

その「私」を探し、「私」に出会う。

本当の私を生きる。

本当の世界を生きる。

変わらないもの

信じ、求める。

必ず出会える。


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