10月26日 主日礼拝
10月26日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録19章11〜20節
信仰とは何か。
魔術師はパウロの奇跡を見て、マネをする。
「イエスの名によってお前たちに命じる」
悪霊がこれに答える。
「イエスのことは知っている。だが、お前は何者だ」
結果、魔術師たちは悪霊にひどい目にあわされるという顛末。
かつてペテロも同じようなことをしている。
足の不自由なものに「イエスの名によって立て」と命じる。
その結果、その者は立ち上がる。
魔術師とペテロ、表面上は同じこと。
それがどうして結果が違うのか。
同じように礼拝を守る。
同じように仕事をする。
それだからと言って同じではない。
内容が違うことはいくらでもある。
どこに違いがあるのか。
物語では聖霊を受ける出来事がこれらの直前に語られている。
表面上の回答は聖霊を受けているか、いないか。
聖霊を受けたペテロは成功し、受けていない魔術師は失敗をする。
ならば聖霊とは何か。
聖霊、神の力、神そのもの。
人はそれを受ける。
神を受けている。
神を宿している。
悪霊が魔術師に問うた。
「お前は何者か」
イエスとお前は違うだろう。
お前はイエスを借りているだけ。
魔術師とイエスは違うもの。
神を宿す。
信じる。
どういうことか。
私は何でもできる。
ペテロが「イエスの名によって」と語った時、
ペテロは信じていた。
この人は必ず立てると。
イエスはそれをした。
私もそれをする。
自分とイエス
そこに区別はない。
信仰とは、自分には出来ないが、神様は出来るでしょう、と神にすがること、甘えることではない。
信仰とは何か。
神と私
ひとつ。
そこに向かう心の在り方。
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