11月23日 主日礼拝

11月23日 主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師


使徒言行録20章25〜38節

パウロが伝えてきたこと。

神の国。

人の言葉、想像力では及ばないもの。

神の国

仮の表現。

その内容は誰にも分からない。

表現という「手段」。

それは必ず「内容」という「目的」を指示している。

「手段」と「目的」

神の国

それはキリスト教の表現様式、手段にしか過ぎない。

他宗教、科学、芸術、その他の指向も同じ目的を目指しているのかもしれない。

パウロは当初、手段と目的の区別がなかった。

神の国という目的は律法を守ることでしかたどり着けないと。

目的は規定路線しかないと思っていた。

ところが、イエスは律法は手段だと言った。

どこからでも行ける。

他からでも行ける。

律法を守るしかないと信じ込んでいたパウロは律法に縛られていたことに気付く。

律法だけでない。

他にもある。いくつもある。

自由になれる。

救われた。

パウロはイエスを救い主と呼ぶ。

手段はいくつもある。

目的に辿り着くためには「手段」への執着を捨てること。

律法、この世の権威、経済

これらに対しては

どちらでも良いと執着が生まれない心構えで対応することはできる。

ならば「命」はどうか。

パウロはエルサレムに行く。

命の危険があるエルサレム。

死にたいわけではない。

「命」それすらも「手段」に過ぎない。

目的が執着を解き放たなくては行けないところであるならば手段を固定化しない、

命を絶対化しない。

人の想像ではたどり着けない神の国

そこに行く絶対の方法などない。

ならばこの世に絶対はない。

神が語った「この世界は良い」

良いを信じ、必ず出会えると信じ、私が信じる道を歩む。

神の国

「信じる」が導いてくれるところ。

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