12月14日 主日礼拝
12月14日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
ルカによる福音書2章1~7節
ガブリエルが告げる洗礼者ヨハネとイエスの誕生。
それを告げられた者は同様に「今ではない」との思いにとらわれる。
「今」
時間の話。
ローマ帝国からの人口調査の勅令。
イスラエルの民は自分の生まれ故郷で登録をするため移動をする。
マリアとヨセフ。
この夫婦も登録のために故郷に帰る。
大勢の人が移動しているため、どこにも泊まることができない。
マリアは出産をするが、そこは人が生活をするような場所ではなかった。
宿屋には彼らのいる余地がなかった。
場所がない。
空間の話。
ルカの語るクリスマスの物語。
時空の話になっている。
時空をどう生きるか。
世界をどう生きるか。
その問いかけに対しての一つのヒントがマリアの姿勢。
マリアは信じた。
信じるとは何か。
あなたは必ずこれを成し遂げてくれると信じている。
「信じる」との言葉を使ってはいるが、これは期待をする、でも代用できる。
期待。自分の思いを相手に押し付けること。
期待と信じるは何が違うのか。
人は時間をどう生きるか。
人は過去や、未来を生きることはできない。
生きられるのは「今」だけ。
その「今」を過去の業績や、失敗で塗りつぶしてはいないか。
その「今」を未来に気を使いながら過ごしてはいないか。
今でない時間、過去、未来に乗っ取られて「今」を過ごしている。
人は「ここ」しか生きられない。
その「ここ」をあそこと比較して価値付けしていないか。
「ここ」しか生きられないのに、どこかを気にしながら生きている。
「ここ」でないどこかに乗っ取られて生きている。
私はどうか。
人は「私」しか生きられない。
その私を私以外のものにしようとして生きていないか。
信じるとは何か。
「今」「ここ」「私」以外に心を持っていかない。
期待は必ず私以外、今以外、ここ以外を肯定、評価、羨望して「期待」の行動に出る。
期待は今、ここ、私を否定している。
今、ここ、私を信じる。
信じることで何が始まるのか。
神が世界を造った時、世界の初め、この世界を「良い」と言われた。
今、ここ、私、それは良い。
それが真実。
世界のまことと出会う。
クリスマス。
世界のまことと出会う時。
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