2月1日 主日礼拝
2月1日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録 21章27~36節
パウロがエルサレムに到着する。
パウロの周囲の者たちはパウロのエルサレム入りを反対していた。
パウロが誤解されているから。
パウロはイエスの言葉から律法の本質に近づいていた。
執着をするな。依存するな。
神の造った世界は良い。それを信じれば何かを恐れてしがみつく必要がない。
律法の源である十戒。
これも十回、人を励ましている。
あなたはちゃんとしている、と。
神に似せて人は造られた。
何にも頼らない神。それが人の本質。
当時のユダヤ人にとっては律法にしがみつくな、は律法を否定する考えと受け取られた。
それゆえパウロはユダヤ人の敵と考えられた。
パウロへの誤解をなんとか解こうとしたヤコブ。
パウロに神殿で清めの儀式をするように勧める。
これをすればパウロが律法を重んじるものである、誤解は解けると考えた。
この儀式の最後の日、パウロを追跡してきたユダヤ人に見つけられる。
彼らはかつてパウロがギリシャ人と一緒にいた記憶から、なんの確認もしないままにパウロは異邦人を神殿に入れたとがなり立て、町の者を扇動する。
大騒ぎとなりローマの軍隊が介入する。
思った通りにならない。
語れば語るほど、誤解を生んでいく。
どんなに大事なことを、その者にとって大切なことを伝えているのに聞かぬどころかでっち上げたもので批判、非難をしてくる。
パウロだけのことではない。
私たちの社会でも日常的に起こっていること。
悔しく、虚しく、徒労を繰り返して何になるのかと思える経験。
これは本当に徒労なのか。虚しいのか。
パウロはローマの兵隊に保護される。兵役に連れていかれる。
それがやがてローマに護送されることになる。
今日、ここに私たちの教会があること。
私たちが関わっているキリスト教主義学校があること。
世界中に教会があること。
その大きな原因はパウロがローマに到着したことにある。
情報、物質、人、文化、それを世界に発信していたローマ。
そこにパウロが到着しなければキリスト教はユダヤ世界で終わっていたかもしれない。
パウロが神殿に行かなければユダヤ人に見つかることはなかった。
ユダヤ人が大騒ぎをしなければローマの兵隊が介入することはなかった。
ローマに捕らえられたからこそ、パウロはローマに到着できた。
虚しい経験は本当に虚しいのか。
この虚しい経験に私たちは怒っても、騒いでも、絶望をしてもいい。
ただ信じていなければならない。
この出来事は必ず未来につながっている。
未来のすばらしいものにつながっている。
信じる。
それが使徒言行録の物語から私たちが受け継ぐもの。
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