2月8日 主日礼拝
2月8日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録 21章37~22章5節
パウロは何をしたかったのか。
パウロは律法を全うしたかった。
律法を全うするとはどういうことか。
捕えられたパウロ。
自らの生い立ちを語り始める。
なぜ、生い立ちなのか。
律法、その中心の十戒。
十戒は「何々してはならない」あるいは「何々しないもの」
と十の戒め、禁止が記されている。
十戒を「目的」「答え」として読むならば「何々をしない」。
これを実行すれば律法を守ったことになる。
かつてのパウロはそう考えていたし、当時のユダヤ人もそう思っていた。
「何々をしない」
ならば、何もしないで人生を過ごせば、
寝て時を過ごせば、
それで神の御心にかなったことになるのか。
何もするな、と神は言っているのか。
十戒は目的ではない「手段」だ。
答えではない「問い」だ。
イエスや、パウロはそう考えた。
「何々をするな」
それらは自分が不十分だと思ったが故に生まれてくるもの。
足りないものがあると思うから生まれてくる欲望。
足りないものなど何もない。
あなたは神に似せて造られている。
あなたは良い。
「何々をするな」「何々をしない」
それは貼り付いた自分以外のものを剥がせとの言葉。
そして、同時に問うている。
自分以外のものを剥がして
本当の自分になって
で、あなたはどう生きる?
十戒はあなたはどう生きるのか、と問うている。
十戒を、律法を全うする。
パウロの願い。
故にパウロは自らを語り始める。
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