つながっている

2019年5月12日・母の日

伊藤大輔牧師 

使徒言行録 19章11―20節  

母の日。

1908年、アメリカ、

ウェブスターでアンナ・ジャービスが

母を偲んで教会でカーネンションを配ったことが始まりとされている。

亡き母を思う。

母の守り、愛。

多くの者が母から受けたものを思い出し、これに共感する。


無条件に大切にされた経験。

母の姿を通し、神の愛、広さへと思いを馳せる。


エフェソでパウロは人々を癒し、

悪霊を追い出しと次々に不思議な業を行う。

これを見ていた祭司の息子たちが真似をする。

「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と。

ところが悪霊には全く効果がなく逆襲にあう。

ユーモラスな物語であるがこれは私たちに何を語っているのか。  


人の不安、心配。

それを解決した事例がある。

発明、発見、思考の転換。

それを知ると真似をしたくなる。

成功者にあやかりたい。

誰しもが思うこと、どこにでもあること。

祭司の息子たちがしたことは特別なことではない。

日常のこと。

だが聖書はそれはかえって悪霊に襲われる、

問題の増殖にしかならないと言う。


ならば問題を解決した主イエス、パウロは私たちと違う特別な存在なのか。

パウロの時代以後はただ苦しみに耐えるしかない時なのか。  


祭司の息子たち、彼らは問題を解決するにあたり試みたこと。

「パウロが伝えているイエスによって」。

パウロに、イエスに頼っている。

依存し、すがり、問題を解決しようとしている。


パウロはどのように悪霊を追い出していたのか。

今日の聖書の書き出しは

「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた」。

業を行った主語は「神」。

神がなす。


人が、私が大問題と直面すれば無力な私は何かに頼らざるをえない。

問題の解決を行うのは誰か。神が行う。  


この事件を経験したものたちが「書物を燃やした」とされている。

書物、人の言葉、人の知恵。

誰しもが頼りにするもの。

それを燃やす。


依存で問題に対処するのではない。

信じる。

待つ。

耐える。

希望を捨てない。

神の愛がいつでも変わらず私を包んでいる。  


母の日。

大きな愛に育まれている時

母の他に必要なものを求めたりはしなかった。

その経験は、神を信じる時に思い出す必要のあるもの。


大きなものに包まれてる。

大きなものが私を守り、

導いている。

何にも頼らずとも私は進める。

母の日に改めて覚えたい自らの姿。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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