苦しみ、恵み
2019年9月22日
伊藤大輔牧師
使徒言行録23章12-35節
「孤独」を私たちは味わいたくない。
仲間、協力者が欲しい、
必要だと思う。
教会には「兄弟姉妹」という言葉がある。
切れようのない絆で結ばれたもの。
孤独は生まれないのが教会と言えるような表現。
では教会が大切にしてる聖書は「孤独」をどのように考えているのか。
パウロは捕えられている。
そのパウロの命を狙うユダヤ人。
40人以上集まり、祭司長たちまで抱き込んで暗殺を実行しようとする。
この者たちはかつての仲間。
彼らから見ればパウロは神を捨てて異教に取り込まれたもの。
だがパウロは彼らと違う道に行ったとは思っていない。
同じ道。
その道を極めていけばここにたどり着くと思っている。
それが通じない。
孤独をパウロが味わっている。
ユダヤ人たちに襲われていたパウロにも何らかの原因があるものと疑われローマ帝国によって彼は軟禁をされる。
そのローマの兵隊の元に知らせが入る。
パウロ暗殺の計画が実施されようとしていると。
隊長はすぐに総督のいるカイサリアへの護送を整える。
兵営470人で。
およそ40人の暴徒たちから一人を守るには過剰な人員。
それほどまでしてパウロは守られる。
ローマ人。
聖書の世界から見れば異邦人。
この使徒言行録が記された時代の読者たちから見れば国土を奪った憎き敵。
その者達がパウロを守った。
孤独。
パウロは同胞のものからは否定され孤独を味わった。
だが、忌み嫌われていた異邦人はパウロを徹底して守る。
聖書は「孤独」をどのように考えているのか。
パウロを守ったローマの軍人達。
物語を読み進んでいくと彼らもパウロを利用していることが分かる。
パウロの本当の仲間、協力者ではない。
これが聖書の考える「孤独」「仲間」なのだろう。
人はどこに行っても、どこまで行っても孤独から解放されることはない。
真の仲間と呼べるような者に出会うことはない。
主イエスをはじめ裏切られ孤独を味わうのが聖書の登場人物達。
人が設定、期待している仲間とは出会えないかもしれない。
だがパウロの歩みは裏切られ、孤独になっても必ず次の誰かが助けてくれる。
いつでも守られている。
パウロ本人も期待していない者がパウロを守る。
神の守り。
人の孤独の先に必ず神の備えが待っている。
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