さよならを言わないで

2019年9月29日
    森下滋伝道師 
                        創世記50章15-26節                             コロサイの信徒への手紙4章7-18節 
 あなたにとって今愛する人は誰か?誰があなたを愛してくれているか?パウロは「古い人を脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身につけ」(2:9-10)更に「愛を身に着け」る事を命じる。何故ならば「愛は全てを完成する絆」なのである(2:14)。その時愛は具体的な形を伴って現れる。そして愛は時に痛みをも負う。ただ考えているだけでは本当の愛ではない。人を愛せない、愛されないという時、それは愛を知らないという事だ。本当の関係性の中にいないのだ。
  パウロは今手紙を書き終えようとしている。これがもし私達が書くラブレターならどの様に結語を書くであろうか。手紙の中では、宛先人と実際に会っているかのように愛し合っている。しかし筆を置かねばならない時、私たちは愛するものに対してあの言葉を用いてしまうだろうか。こちらから一方的に関係を切ってしまうやもしれぬあの言葉を。
   ヨセフは泣いた。悲しかった。父と兄達に愛を示したヨセフに対してまだ兄達は恐れを抱いていたからだ。しかしその悲しみの中でヨセフは兄達に言った。「恐れる事はありません」(50:19)
  パウロは筆を置く前にあれもこれも伝えたかった。しかしパウロの願いはただ一つ。「あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているように」(4:12)。それは神の愛を纏う事。その為にパウロはたった3人の同士と共に労苦した(4:11)。その結果パウロは捕らわれている(4:18)。だからこの手紙を他の兄弟姉妹達へと回覧して欲しいのだ(4:16-17)。愛を伝えたいのだ。出来ればパウロは筆を置きたくはないのだ。それどころかすぐにでも実際に会いたいのだ。パウロはあの言葉を使ったか?
  ヨセフは「私は間もなく死にます」と告げた。しかしここに別れの言葉はあるか?別れの言葉の代わりにヨセフは希望を伝えた。「神は必ずあなたたちを顧みてくださり」と(50:24)。神の約束と神の愛を自分の死に際に伝えた。人間の一生を通して神の愛は私たちに向けて立ち上がった。
  人を愛する為には自分を愛する事が必要。自分を愛する事は自分を愛してくれる方が誰なのかを知る事から始まる。自分の命を捨ててまでも私たちを愛し続けている方が語っている。その愛は私たちを完全とする。愛の絆は切れる事なく、私たちは罪も苦しみも死も別れも無いものとされた。神の愛は私たちにさよならを告げる事はない。あなたはその愛を知っているか?

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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