はじめのところへ

2019年11月24日

伊藤大輔牧師

創世記35章1-15節

本日は「終末主日」。

教会の大晦日。

一年の最後、ヤコブの物語から、「人とは」「世界とは」「神様とは」、

この物語が語ってきた 大切なものを思い出したい。  


ヤコブの逃亡の始まり。

不安の中で神に出会ったベテル。

そこに再びヤコブは帰ってきた。

神のために祭壇を築くために。

そこで神はヤコブに新しい名前を与える。

「お前はイスラエルだ」と。

人は新しくなれる。

ヤコブはどのようにして新しくなったのか。

物語を振り返る。  


父の祝福を奪うため、母親の策略に乗り、一時は成功するも、結局は追われる身となる。

ヤコブとはどういう者なのか。

はっきりしていることは祝福を求めたもの。

それは恐らくは兄よりも自分の方に世界は味方するべきだとの思いがあったのではないか。

母親の策略に乗ったのも、母親に愛されたい、認められたいとの思いか。

だとするとヤコブは「求めていた者」になる。

これは世界の始まりからある聖書のテーマ。


アダムとエバは蛇に唆される。

「お前には足りないものがる。それを補え」。

不安を抱え「求める者」そこれが人間だと聖書は語る。


弟を殺したカインも神の祝福が欲しかった。

それが叶わぬと肉親をも殺す。カインもまた「求める者」。  


ヤコブもまた同じ「求める者」。

そのヤコブはどれほど変わったのか。

物語を読んできた私たちにはっきりと「ここだ」と言う感想はない。

逃亡中も、故郷に帰る時もヤコブは不安を抱えている。

そのヤコブな望みのものを手に入れた。

故郷への帰還、兄との和解、なぜ起こったのか。

物語はヤコブの功績の結果とは記していない。

ヤコブが望みのものを手に入れた、その原因はヤコブにはない。

なぜ手に入れられたのか。

神が約束をしたから。

その約束が果たされたから。  


だが神がヤコブに語った約束は全てが果たされているわけではない。

「土地を与える」と神は約束するが、ヤコブは結局はエジプトで死を迎える。

土地を失ったままで終わる。

約束は果たされてはいない。  


神の約束は全ては果たされてはいない。

一方ヤコブが家に帰れたのは神が約束を覚えていたから。


物語は、人がどこにいるのかを語る。

人は神の約束の途中にいる。

ここが全てではない。

この先に約束の成就がある。

足りないものがあると、人は思う。

「求める者」になる。

慌てることはない。

失望することもない。

人の願い、この命まで超えて神は約束を果たす。

人に永遠の命まで与えて約束の成就を見せる。

ヤコブからイスラエル

求める者から途中の者へ。

世界、

人のあり方が語れる。 

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