聞く

2019年12月8日 

伊藤大輔牧師 

ルカによる福音書1章26―38節 

 クリスマスの出来事は一つの課題と向き合っている。

蛇の言葉。

「お前には足りないものがある。それを補え」。

これは私たちには当たり前の言葉。

正義のススメでもある。

これを受けた人はどうなるか。

創世記の物語は続く。

蛇、女、男にそれぞれに神からの裁きがくだる。

そこで共通をしているのは出口の見えない循環に飲み込まれること。

何をしても、いつまでたっても同じところから進むことができない。

これもまた私たちの現実ではないか。  


ガブリエルはザカリア、エリサベト夫婦に臨んだ後に、

マリアのところに行く。

結婚をしていないマリアに「子どもが産まれる」と告げる。

ザカリア、エリサベト、マリア、ヨセフ、彼らはクリスマスの準備に関わったもの。

彼らは何をしたのか。

ザカリアは口がきけなくなる。

エリサベトは妊娠から五ヶ月人に会わずにいた。

マリアは「お言葉通りにこの身になりますように」と神の言葉を優先させた。


皆、黙り、沈黙した。

クリスマスを迎える態度。

聖書が告げているのは沈黙である。


沈黙する。

それは聞くことでもある。

ならば私たちは何を聞くのか。

誰の言葉を聞くのか。  


マタイ福音書25章は十字架にかかる直前に主イエスが弟子たちに告げた言葉を記している。

世の終わり、祝福される者と罰を受ける者が裁かれる場面が語られる。

二つに別れる者であるが、どちらもどうして自分がそのような裁きを受けるのか分かっていない。

その時、裁き主である王が言う。

あなたのそばのもっとも小さい者の一人にしたことは私にしたことだと。  


私たちは何を聞くのか。

誰の言葉を聞くのか。

私のすぐ側の人の言葉を聞く。

街の言葉を聞き、

時の流れを聞く。

子どもたちの声を聞く。

聞いてどうなるのか。  


エリサベト、ザカリア夫婦、ヨセフ、マリア夫婦、

彼らに告げられたガブリエルの言葉は

「子どもが生まれる」という同じものであるが、もう一つの共通点がある。

この夫婦、年長者と若者との両極端のものであるが共通して子どもができるはずのない環境にいた。

歳をとって子どもが産めない。

結婚をしていないので子供ができるはずがない。


彼らにとって「子ども」は「ない」ものだった。

ないはずのものだった。

それが「ある」と告げれる。  


蛇の言葉は「お前には『ない』」と言う。

神の言葉は「ある」と告げる。


蛇の言葉に踊らされ人は出口の見えない所をさまよい歩く。

黙る。

聞く。

世界の本当の形が見えてくる。

世界は「ない」でできているのではない。

「ある」でできている。

神の造られたこの世界をきちんと見定めるクリスマスの準備をしたい。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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