覚悟と確信

2029年2月9日

伊藤大輔牧師  

使徒言行録27章1-12節  

カイザリアでの取り調べも終わりローマに護送されることが決まったパウロ。

船で移動することになる。


使徒言行録、パウロの物語が終わろうとしている。

この船旅はパウロの人生を象徴するようなもの。

パウロのみならず、私たちの世界を象徴する。  


進もうとする目的地はある。

しかしそこにたどり着こうとすると嵐に出会う。

艱難に合う。


パウロの理解者であるはずの百人隊長。

彼も功を奏してかパウロの言葉を否定して、

嵐が待ち受ける海への航海を選択する。


裏切り、豹変、これに翻弄される。

挙句に予想通り嵐に巻き込まれる。

本来、避けられたものに遭遇せざるを得なくなる。  


嵐に巻き込まれる物語。

旧約聖書にもある。

ヨナの物語。

異邦人の街ニネベに裁きの預言を命じられたヨナ。

それを拒みタルシシュから船出する。

嵐に遭遇し大きな魚に飲み込まれニネベに運ばれる。

そこでしぶしぶ予言したところ

ニネベは悔い改め、神の裁きは実行されない。

それを見て怒ったヨナに対して神は問う。

「お前の怒りは正しいのか」

「ニネベを惜しまずにいられるのか」。


疑問文で物語が終わっているのは旧約聖書では極めて珍しい。

ヨナが船出したタルシシュ、後にタルソと呼ばれ、

そこで生まれた者がパウロ。

ヨナ書の問いかけ「神は間違っているのか」。

これへの答えを使徒言行録は語ろうとしている。  


人は嵐に遭う。

遭う必要のない嵐に遭う。

自分にはなんの落ち度も責任もない。

それでもそこに居合わせなければならない。

天変地異、疫病、どうして自分が。

神は間違っているのではないか。  


嵐の中でパウロは天使から告げられる。

「必ず皇帝のところに行ける。

だからここで終わることはない」。

嵐であろうが裁判であろうが結果は似たようなもの。

それをパウロは受け入れる。

諦めている。

自分の力で生きるのを。

何かに執着し、

頼り、

依存して生きるのを諦めている。


神は必ずご自分の計画を実行する。

神に委ねる。

それは絶望ではない。

人の経験、

知識では未来、「死」

それは確かに恐ろしいもの。

その人の思考を超えたものがる。


パウロと同船していたものには異邦人もいる。

ヨナは異邦人の裁きが果たされないことに怒ったが、

その思考を神は超えている。


嵐にさまよう人々にパウロは食事を勧める。

聖書は「食べる」宗教。

食べなければ、生物は終わってしまう。

食べれば、どうしたって前に進む。

嵐の中でも、

苦難の中でも生きて前に進む。


パウロはパンを裂く。

最後の晩餐を連想させる行為。

食べろ。

前に行け。

嵐の次がある。

闇の外がある。

嵐を起こす神は間違っているのか。

人には分からない。

それでも人は食べて、

分からないの先へ進んでいく。

「死」の先へ、

永遠へと向かって。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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