「耐える時、信じる時」

2020年3月20日説教
森下静香信徒伝道師

イザヤ書40章28-31節
2コリント4章16節-18節、5章17節―21節

 
    この世の艱難は、私たちのために造り出されている永遠の栄光に比べたら軽いという。ダイヤモンドが研磨されればされるほど輝きを増すように、信仰者も艱難を経験し「内なる人」が強められ、新たにされる。世界中が艱難の時。しかし、信仰者には良いことが起きていると言える。忍耐の今「内なる人」は強められ新たにされる。神は毎日、私たちを変革に揺り動かす。御言葉が心に深く根ざすなら、何者にも邪魔されず「外なる人」が衰える只中に先に進むことができる。
 私たちは一度死ぬ。しかし聖書は「それが終わりではない」という。キリストが復活されたように私たちも復活する。信仰者は一度死を経験している。洗礼の時、私たちは自我に死に、キリストと共に新しく生まれた。洗礼は『イエス・キリストを主と信じたこと』を公に知らせる儀式。信仰共同体として命に預かることを喜び祝うため。
 私たちはキリストと共に生きる。永遠の命は始まっている。根拠が二つ。聖書と聖霊。神の霊がそのことを確信させる。信仰者は主にあって一つ、天国での再会が約束されている。教会は主の霊によって一つ、すべての人が招かれている。私たちは宣教に出ていくと同時に教会に留まる必要がある。教会はキリストの花嫁である。花婿であるキリストが迎えに来る。キリストの復活の希望は私たちの復活の希望。
 鷲が天高く上っていく姿。翼を大きく広げるその姿は大きな十字架。聖霊の風に乗り私たちは自由に大空を舞うことができる。「外なる人」は朽ちても「内なる人」は天高く上る鷲のように聖霊に強められ日々、キリストの姿へと変えられていく。教会に留まり、教会のために祈れ、キリストは必ず花嫁を迎えに来る。
 私たちは和解の務めに参与する。今よりも一歩上らせてくださる聖霊の力が臨むように。今の艱難の時は重い永遠の栄光の序章。耐える時、それはこの世の艱難が軽く思われるほど重い永遠の栄光を思う時。今こそ信じる時。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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