9月6日主日礼拝

伊藤大輔牧師

ヨシュア記3章14ー17節 


ヨシュア記 

モーセ五書の次の物語。 

モーセの死後の物語。 


モーセの役目を継いだヨシュア。 

目の前に広がる川の水をせき止めて、川の中にできた道を渡って行く。 

これとよく似たことをモーセもしている。 

紅海をせき止め、海の中にできた道を彼らは渡った。 


似ているのはそれだけではない。  

ヨシュアはエリコに入るにあたり斥候を放つ。 

エリコに侵入したものの、追っ手がかかる。 

ラハブの家族にヨシュアの斥候はかくまわられる。 

斥候はラハブの家から離れるにあたり指示を出す。 

「これからイスラエルはエリコの街に攻め入る。 家の窓に赤い紐をつけておけ。 

そうすれば、その家は襲われることはない」と。 


40年前、モーセがエジプトを出る時、 神はイスラエルに告げた。 

家の鴨居に動物の血を塗っておけ。 

そうすれば神の災が、その家を通り過ぎるから、と。  

赤いものが家にあると災が通り過ぎていく。 


よく似た話がモーセの物語とその後の物語に記されている。 

同じような話し。 

ここから私たちは何を読み取るのか。 


「同じ」それは「変わらない」ということ。 

「変わらない」それの本質的な意味は初めから同じということ。 

どんなに伝統があっても歴史の中に開始点を持っていれば、 

それらはすべて「変わった」過去を持つ。 


初めから同じ。 

 世界の初め。 

天地創造 創世記 世界の初めに何があったのか。 

神が世界を造る。 

その造られたものを神は見て「良し」とされた。 

「良し」

「美しい」とも翻訳できる。 


「美」とはしっかり重心があり、バランスされている状態。 

対称性のある状態が「美」の性質。 

少しの余分も不足もない。 

すべてが整っている。 

それがこの世界だと聖書は語る。 

 

私たちの現実認識はどうなのか。 

感染症、自然災害、経済危機。 

不安、心配、怒りを抱く。 

そこには「世界は変わっていく」という認識がある。 

変わっていく。 

それも正しい現実認識。 


ただ、この認識はどこから来たのか。 

聞いたもの、見たもの、体験したもの。 

それらは体が処理をした現実理解。 

体もあるが私たちには神の霊もある。 

私たちの霊は何を見ているのか。  

変わらない。

同じ。 

世界は何も変わっていない。 


神が「良し」「美しい」と言われた世界から何も変わっていない。 

私の霊はそれをちゃんと弁えているのか。 

 世界は変わらない。 


私たちの前には困難が立ちはだかる。 

危機が、苦難が立ちはだかる。 

進むことができない大きな壁が現れる。 

渡ることのできない海。 

進むことができない川。 

だが、そこを超えて行ったのが モーセ、ヨシュアの物語。 

その物語は、世界の物語、私の物語。 


変わらない。

同じ。 

海を進み、川を切り開き、壁を乗り越える。 

何も変わっていない。

いつでも同じ。 

 同じ物語の中を私たちは今も進んでいる。   

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000