9月17日礼拝
伊藤大輔牧師
申命記8章2−4節
エジプトを出てから40年。
約束の地に入る直前の状況が今日の聖書。
苦しい旅路であったが、振り返れば着物は古びず、足も腫れなかった。
神に守られていた。
ただ神はモーセに告げる。
「この民は約束の地に入ればまた神を裏切る」と。
それでも神は民と共にいる。
イスラエルの民が何をしようが神は民を離れない。
立派だから、喜ばれることをしたからではない。
民の行動によって神は態度を変えることはない。
それは私たちにも同じ。
私たちが立派でも、そうでなくても神は私たちと共にいる。
イエス様は 「ただで受けたのだから、ただで与えよ」と言われた。
私たちはただで、価なしに神様から、恵みを与えられた。
ならば、我らもただで与えることが求めらる。
友達、家族 私たちを裏切ったり、意に反することを行うこともある。
その時、私たちはこれまでの関係を変えようと考える。
ただで与えよ。
それは、何があっても変えないということ。
友達は友達。
家族は家族。
何があっても変わらない。
難しいことかもしれない。
40年を振り返った民は着物も古びず、足も腫れていなかった。
何も失ってなかった。
何も変わっていなかった。
不愉快なことをする友達、家族と付き合っても、
私は何も失わない。
何も変わらない。
何があっても関係を閉ざさない心。
その心を持った人。
その心を持った社会。
その心を持った国。
その心が平和を作っていく。
ただで受けたのだから、ただで与える。
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