12月6日

マタイによる福音書1章18−25節

主イエスの父となるヨセフ。

大いに悩み、不安に陥る。

婚約者のマリアに子どもが宿っている。

自分の知らない子ども。

私の子どもではないもの。

私はマリアと結婚してはいけない。

私の予定はなくなった。

世界の最初の二人

アダムとエバ。

何不自由なく暮らしていたが、

ある日、蛇と出会い、自己確認を新たにする。

「善悪の知識の木の実を食べれば神のようになれる」

蛇の言葉は自己確認と重なる。

今の私は不十分。

今の私ではダメなのだ。

私はダメだ。

その自己確認から、頼るのも、すがるものをかき集める。

「善悪の知識の木の実」は最初のもの。

その後、人はあらゆるものに執着し始める。

今の私はダメ。

ヨセフも思っていた。

そのヨセフが夢を見る。

そこで神の言葉を聞く。

「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。

マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

この子は自分の民を罪から救う」。

神様がヨセフのしたいことをしろ、と告げている。

私の予定は否定されていない。

私はダメではない。

生まれてくる子ども、イエスさま。

罪から人を救う。

罪を犯せば人は進めなくなる。

予定から外される。

いた場所から外される。

ダメだとされる。

罪から救う。

時間が始まる。

場所が生まれる。

「私はダメ」が最後の私の姿ではなかったと気がつかされる。

私はダメではない。

人はアダムとエバを引き継いでいる。

私はダメ

だから、何かにしがみつこう。

クリスマスの出来事はアダムとエバから続いていたものを断ち切っていく。

人はダメではない。

私はダメではない。

私は進める。

それを信じていい。

クリスマスの恵。


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