12月13日礼拝
9時礼拝
ルカによる福音書1章76~79節
「よろこび」
西川優子神学生
おはようございます。今日はアドヴェントの3番目のろうそくに火がともりました。こ
のろうそくは「よろこび」のろうそくと呼ばれています。今日は、そのよろこびの知らせ
を聞いた、ザカリヤというお爺さんの話を聞いてください。
むかしむかしユダヤの国に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。イエス様が生
まれる1年くらい前のことです。
おじいさんの名前はザカリヤ。かみさまに礼拝をささげる神殿で、お祈りをする仕事を
していました。
ある時、神殿の一番奥でお祈りをしていたザカリヤおじいさんの目の前に、天使があら
われて言いました。「ザカリヤ、あなたのところに赤ちゃんが生まれますよ。」「その子
をヨハネと名付けなさい。」「その子はみんなを神様のもとへ立ち返らせて、主のために
心の準備をさせる人になります。」
ザカリヤおじいさんは、突然の事でびっくり。今まで、子供がいたらいいな、と思って
いたけど、あきらめていたのです。ザカリヤおじいさんは、天使にこう言いました。「わ
たしはもうおじいさんです。妻も年を取っています。本当なら証拠を見せてください。」
それを聞いて天使は何と言ったでしょう。「わたしはこの喜びの知らせをあなたに伝え
に来たのに、あなたは信じない。赤ちゃんが生まれるまで、あなたはものが言えなくなる
。」
さあ、大変。ザカリヤおじいさんは、声を出してお話をすることができなくなってしま
いました。そして、信じられなかったことが起こりました。ザカリヤおじいさんの所に、
本当に赤ちゃんが生まれたのです
生まれて1週間のお祝いの時、近所の人たちや、親戚の人たちが大勢お祝いに来てくれ
ました。そして、そこで赤ちゃんの名前を決める時、ようやくザカリヤおじいさんの口が
開かれました。それがさっき読んだ聖書のところです。
この時のザカリヤおじいさんは、これまでのザカリヤおじいさんとは違いました。神様
からの喜びの知らせを、本当かな?ウソでしょう?と思っていたのに、今は、聖霊に満た
されて、神様ありがとう、神様は素晴らしい方です、と言うようになったのです。
神様の約束は、本当になるってわかった時、私たちの心は、喜びに満たされます。
ザカリヤおじいさんは、はじめ、自分のことを幸せだと思っていなかったのでしょう。
私たちにも、喜べない時があります。寂しい時、つらい時。でも、ザカリヤおじいさんは
、神様が自分のことを気にかけ、幸せを願ってくださっていることがわかりました。それ
が喜び、そして「聖霊に満たされた」ということです。
今日、喜びのろうそくに火をともし、来週、私たちはイエス様のお誕生をお祝いします
。聖書を読むと、イエス様がお生まれになったことも、神様の約束だったことがわかりま
す。そして、イエス様はもう一度私たちのところに来られる。それも神様の約束です。
2
アドベントのこの時、心の中にイエス様のお部屋をつくって、イエス様が来てくださる
のを、一緒に待ちましょう。
主日礼拝
ルカによる福音書1章39ー45節
伊藤大輔牧師
私たちはどのような世界にいるのか。
ルカ福音書は「時間」をテーマに語り始める。
洗礼者ヨハネと主イエスの誕生とが関係していると語るのもルカの特徴。
ヨハネの両親となるザカリア、エリサべト夫妻。
この二人は子どもが出来ないままに歳を重ねていった。
子どもの誕生。
それは過ぎ去ったこと。
自分たちと関係のなくなったもの。
諦めてしまったもの。
過去と今、自分とは関係がない。
主イエスの両親となるヨセフ、マリア。
この二人は結婚をしていないもの。
子ども誕生。
将来のこと。
今の、私とは関係にないもの。
ヨハネの誕生は「過去」と
主イエスの誕生は「未来」と
緊張をしている。
私たちの「過去」「未来」とはどういうものか。
「過去」
取り返しのつかないもの。
そこで起こった失敗も、成功も、今の自分が修正したり、再現することはできない。
自分のものでありながら、自分ではどうすることもできないもの。
「未来」
願い、希望をたくすこれから。
だが、どこかで弁えている。
願いどおりのものが、そのままやってきたりはしない。
自分がこれから進むところでありながら、私の思い通りにはならないところ。
「過去」も「未来」も私たちと断絶している。
私と関係しながら、私にはどうすることもできないもの。
ザカリア、エリサべト夫妻に起こったこと。
自分と関係がないと思っていた「過去」が「今」に飛び込んできた。
マリア、ヨセフの起こったこと。
自分と関係がないと思っていた「未来」が「今」に流れ込んできた。
「過去」「未来」
今と途切れていない。
私と断絶していない。
実現する。
「過去」に閉じ込められたものはない。
実現する。
未来にいつまでもありやがて遠のいていくものはない。
実現する。
ルカは時間をテーマに世界は実現するところ。
全ては現実になって現れてくるところと語る。
「現実」とは何か。
「実現」とは何か。
人があらがえないもの。
受け入れざるをえないもの。
人が根本的な原因にはなれないもの。
私の行いに関係なく起こること。
変わらず起こること。
聖書は世界の初めから変わらず起こっていることについて語る。
神が世界を「良い」とした。
人は神にそっくりなもの、神の息吹が宿っているものとした。
神の愛の中に「私」はいる。
それは変わっていない。
私が何をしようがそれは変わらない。
それが「現実」
洗礼者ヨハネも、主イエスも、人が持っている「原因」「結果」の因果関係からは生まれるはずのない「時」に生まれた。
人の経験、技術、と関係なく生まれた。
人と関係なく生まれた。
人がなんであれ、神は変わらず人を愛する。
私たちはどのような世界にいるのか。
計り知れない大きな神の御手の中に
愛の中にいる。
本多記念教会
サイト
https://www.hondakinen-church.com/
https://www.facebook.com/hondakinen/
YouTube
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