3月28日礼拝
伊藤大輔牧師
マタイ福音書25章14ー30節
タラントンの譬え話。
天の国の譬え話。
主人から5タラントン、2タラントン、Ⅰタラントン
それぞれ預かった僕たち。
5タラントンの者、
2タラントンの者、
商売をして倍にした。
1タラントンの者、
穴を掘って隠しておいた。
主人が帰って来て精算をする。
倍に増やした者、褒められ喜ばれる。
隠しておいた者、タラントンは没収され、暗闇に放り出される。
タラントン
私たちに与えられた、賜物、能力と解釈される。
ただ、このタラントンに私たちはどのようにして気がつくことが出来るのか。
この譬え話は主イエスの生涯の最後の一週間において語られたもの。
大切なことば。
主イエスの思いが込められた譬え話。
主人から預かったタラントンを増やした。
これは恐らく主イエス自身の体験。
タラントンを見出した者はどのような振る舞いをしていたのか。
母マリアが「結婚式のぶどう酒がなくなった」と主イエスに告げた時、
「婦人よ、私となんの関わりがあるのですか」
と冷たく答える。
エルサレムに入る時、心配した弟子たちが思い止まるように訴える。
その時も、弟子たちを批判するかのように主はお答えになる。
エルサレムに入ってからイエス殺害計画が遂行されていても、そんなものは意に介さず、ご自分の思いを語っていく。
主イエスは人の言うことを聞いていない。
主イエスは人に振り回されていない。
人に支配されていない。
依存していない。
自分の行うことをただ行う。
タラントンとはそういうもの。
神から預かった私だけのもの。
人から褒められた、批判された、そんなものはどちらでもいい。
人より優れている、劣っている。
人への意識が入り込んできている。
それはタラントンとは関係がない。
タラントンはどのようにして見つけたらいいのか。
人、周囲、私以外の一切を洗い落としていく。
そうすれば現れてくる。
私のタラントンが見えてくる。
タラントンの譬え話。
商売を題材にしているが、この話、私たちの現実感とずれている。
商売で私たちが心配するのは、元金がなくなったらどうしよう。
まして負債を追うことになったらどうしよう。
私たちが誰しも気にするところ。
ところが主イエスの譬えには、そういう者が登場しない。
なぜか。
そんなものはいないから。
タラントンを減らしたり、失ったりするものはいない。
タラントンはただ増えるだけ。
タラントンは増える、減るの緊張に置かれているものではない。
使うか使わないか。
増やすか、隠しておくか、の選択に置かれているもの。
何にも依存、支配されない私
教会も同じ。
他と比べて教会の使命が決まるのではない。
その教会だけが与えれた使命がある。
社会、国も同じ。
外交、歴史、もちろん大切。
ただ、そういうものを一切洗い落としたところに現れてくるこの国の姿があるはず。
人、社会、国、世界、
みんな使命、タラントンがある。
それを失ったらどうしよう。
いらぬ心配。
タラントンは増えるだけ。
増えるだけのものを磨き、育て続ける。
私だけが分かる私の務めを果たしていく。
それが天国への進み方。
主イエスが生涯の最後の一週間に私たちに残した言葉。
本多記念教会
サイト
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YouTube
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