4月25日 礼拝

伊藤大輔牧師

マタイ福音書5章38ー42節

心構え

相手に対して、社会、時代に対して

どのような心で私たちはいればいいのか。


イエス様は私たちの「心」の「構え方」について語っている。


右の頬を叩かれたら、左の頬を出せ。

下着を奪おうとする者には上着も与えよ。

1ミリオン強いるものには一緒に2ミリオン歩め。


イエス様の要求を私たちは聞いている。

ただ、心の中で呟く。

「それはできない」

「そのような生き方は弱い者のすること」

「戦うべき時には戦うことが正しい生き方だ」

普通の感想。


ただ、もう一歩、深めて考えたい。

私たちはなぜ、

左の頬を出せないのか。

上着を差し出せないのか。

2ミリオン一緒に行けないのか。


頬、上着、ミリオン

これらは例えであろう。

頬はプライド、身体。

上着は財産、富、権力。

ミリオンは時間。


プライド、身体、富、時間

それは私たちにとって大切なもの、掛け替えのないものと思っている。

本当にそうか。


心が乱れるという時がある。

怒り、悲しみ、不安、

心が乱れる。

喜びもその時は良いものだが、その喜びを再現したい、その喜びに執着すると心を乱すものになる。

「感情」は心を乱すもの。


プライド、身体、富、時間

これらを巧みに操作して、心の安寧をはかる。

それはいつの間にか、心がそれらに支配されていることになる。

感情はプライド、身体、富、時間に支配された時の心の乱れ。

イエス様は、プライド、身体、富、時間、それをあなたから奪おうとするものが現れたら、

「そんなものはくれてやれ」と言う。

それらは「心」とはなんの関係もない。


「心」

それは私の真があるところ。

私がなんのためにこの時、この場所で生きているのか、

私の使命を見出すもの。


心構え

それは私が自分自身を見出すもの。

その心はプライド、身体、富、時間とは一切関係ない。


コロナ禍は私たちのプライド、身体、富、時間を蝕むもの。

感情が蠢き出す。

だが、区別をしなければならない。


感情は「心」とは別のもの。

本当の私を見出すこととは別のもの。


心を構える。

何者にも乗っ取られない心を私が守る。

区別する。

イエス様の言葉を心に留め新しい歩みを始めたい。



本多記念教会

サイト

https://www.hondakinen-church.com/

facebook

https://www.facebook.com/hondakinen/

YouTube

https://www.youtube.com/channel/UCRRjBPZolWZWF7Z1jedKfqg

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000