7月18日 礼拝

7月18日礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 7章13−14節
狭い門から入りなさい。
命にいたる門。
そこから入れ。
ただ多くの人は広い門を選ぶ。
その門は先につながらない道
閉じた道にしかなっていないのにそれを選ぶ。
イエス様が言う「狭い門」「広い門」とはどういうものか。
山上に説教ですでにこの答えは出ている。
あなたは地の塩、世の光。
掛け替えのない賜物を人は与えられている。
ただ、多くの場合、人はその味を、光を捨ててしまう。
自分だけの賜物、狭い門を進むのではなく、誰しもが選ぶ広い門を好む。
その理由をイエス様は大きく三つに分けて語られる。
一つ目
人を赦せない者。
情欲をすてられない者。
誓いを立てる者。
これらをイエス様は広い門を選んだ人たちと言う。
この人たちに共通しているもの。
心が支配されている。
「人」に「情欲」に「自分の予定・計画」に支配されている。
心が自由になっていない。
覆われ、囚われ、動けない心になっている。
二つ目
人前で慈善行為をするもの。
大通りで祈りをささげるもの。
これらも広い門を好むもの。
人の評判、人の言葉。
それらによって気持ちが上がったり、下がったりする。
それは心が「人」に支配されている。
私の心でありながら誰かに乗っ取られた心になっている。
三つ目
富に心があるもの。
誰しもが多くの富は幸福をもたらすと信じている。
それがまさに広い門。
富を大切にするも同じこと。
心が「富」に乗っ取られている。
広い門を選ぶ者の共通点。
心が支配されていること。
心が硬くなっていること。
イエス様が指摘した三つのことを私たちは警戒せずの受け入れている。
それを求めることが普通のことと思っている。
だから「狭い門」が見えなくなる。
私の塩味、私の光
それが何かをはっきりと自覚できない時、
私たちの心は何かに侵入、支配されている。
教会も2000年の間、何度も心が持っていかれ過ちを繰り返してきた。
それでもその度に心に入り込んだものを捨て去り教会の本当の務めに立ち返ってきた。
私たちの人生も同じ。
何度も自分を見失い、心をあけ渡し滅びにいたる広い門に飛び込んで行った。
あけ渡した心を取り戻す。
何度でもできる。
「悔い改める」
それは心を取り返すこと。
張り付いたものを全部洗い流せる。
心の本当のあり方。
自由な心にする。
狭い門
そこに本当の喜び、豊かさがある。
私の心
私の塩、光を取り戻す。
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