8月1日 礼拝

伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 7章21−23節

「自由でいなさい」

この命題を果たすにはどうしたらいいのか。

「自由になれば良い」

と答えた時に、矛盾を抱え込む。

「自由でいなさい」との言葉に支配されているのだから自由ではない。

この命題を果たすにはどうしたら良いのか。


山上の説教で「主よ、主よ」と言って近づいてくるものを私は知らない、

と仰るイエス様の言葉はそういう内容を持っている。


神様からの賜物である「塩味」「光」

これは自由でないと見つけることができない。

富に支配される。

人の評価に支配される。

「言われたことを守れば良いんだ」という自己設定に支配される。

支配される。

自由でなければ神様から与えられているものを何も見つけることができない。

私に依存しても、まして私に支配しれては神の御心を行うことにはならない。

イエス様の言葉を大切にすることはイエス様の言葉にとどまることではない。

ではどうしたら良いのか。


自分で行うこと。

自分で言葉のさらにその先へと進むこと。

言葉のレベルに止まるのではない。

言葉が指し示している方へと進んでいく。

もっと先へ

もっと奥へ


日本の夏は平和を覚える季節。

平和とは何か。

「憲法9条を守れば良い」

確かにその通り。

だが、「9条を守っています」と言いながら

それとは別に憎しみを増幅させている、

では9条の心を実現したことにはならない。

9条が示しているその世界。

そこへと心を向けなければ、平和へと近づくことにはならない。


「9条」も「山上の説教」も聞くものに求めていることは同じこと。

「そこ」に止まるな。

「そこ」で良いと思ったら

「そこ」に支配されている。

支配は怯えを、

怯えは怒りを、

怒りは争いを生み出す。


依存しない。

支配に身をまかせない。

自由を求める思いが神の御心を行わせる。

私の「味」「輝き」を発揮させる。

それは「平和」を生み出すことと同じこと。


自由でいるためにはどうしたら良いのか。

私が考え、求め続けていく。

支配されているもの。

執着、固執しているもの。

それらを洗い流す。

それらはなくても大丈夫の現実に気が付く。

心を整える。

日々の修練が自由、平和を実現する。



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