8月8日 礼拝

8月8日 礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 7章24−29節

山上の説教が終わる。
イエス様の言葉を行うものは岩の上に家を建てるもの。
嵐にあう。
艱難辛苦にあう。
それでも倒れない心と体。
それになれる。
主イエスが山上の説教で語られてきたこと。
あなたたちは誰しもが世界に必要な「味」を持っている。
「光」を持っている。
ただそれは心が自由でなければ見つけることができない。
心を奪われるな。
心を支配されるな。
「人」「富」「教え」
それらは頼りになるが、それに頼れば支配、不自由を迎え入れることになる。
人はどのようにすれば自由でいられるのか。
人類は「自由」をその始めから捨てていると聖書は語る。
創世記3章
人が蛇から受けた誘惑。
「お前には足りないものがある」
「それを補え」
「あれがなければ生きていけない」
「足りない」に心が奪われ支配される。
その最初に自由を捨てた。
蛇の言葉に乗っ取られない心をどのように作れば良いのか。
どのようにすれば自由でいられるのか。
この問いへの答えが山上の説教。
それは説教の冒頭に明確に語られている。
「心の貧しい人々は幸いである」
「悲しむ人々は幸いである」
不思議な言い方だが山上の説教を読み進んできた私たちはこの言葉の真意が分かる。
貧しいとはどういうことか。
持っていないこと。
持っていれば豊になると人は思う
「富」も「人の評価」も持っていれば豊になると思う。
その豊さの現実を私たちは知っている。
それは豊ではない。
心が奪われていること。
不自由になること。
貧しい。
持っていない。
足りないものがある。
本当にそうか。
あなたは地の塩、世の光。
私は掛け替えないものを持っている。
「持っていない」と思った時に私が持っているものを見失う。
心が貧しい。
持っていない。
その状態が良い。
悲しんでいる。
助けがない。
仲間がいない。
持っていない。
その状態が良い。
山上の説教は貫かれている。
余計なものを心に貼り付けるな。
何もない心。
その心が未来へとつながる。
心の貧しいものは幸いだ。
天の国はその人たちのもの。
何も心に張り付けない。
このままで大丈夫。
これで良い。
張り付けない時
すがらない時
「味」「光」が現れ出る。
「味」「光」を大切にすることが岩の上に家を建てること。
何にも揺らぐことない心。
何も持たない心。
自由な心。
蛇の言葉に動じない心になる。
心の貧しい人々は幸いである。
天の国は、その人たちのもの。
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