10月17日 礼拝

10月17日 礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 9章18−26節

人はどのようにすれば自分の賜物を見失わないでいられるのか。
どこで自分の賜物に気がつくのか。
今日の聖書は二つの物語が組み合わさっている。
「組み合わせ」に意味がある。
一方の物語。
12歳の娘を失った父親の話。
他方の物語。
12年間、病に苦しんでいた女性に話。
父親ヤイロは主イエスに願い出る。
来てほしい、と。
ヤイロと同行する主イエス。
その途中で病に苦しんでいる女性が主イエスに近づく。
後ろから主イエスに触れる。
すると病が癒される。
ヤイロに家についた主イエス。
手を取るとその娘は起き上がった。
二つの物語は「組み合わせ」に意味がある。
ヤイロは主イエスに前から近づく。
病の女性は主イエスに後ろから。
一方は話をする。
他方は黙っている。
主イエスが触って癒す。
主イエスに触って癒される。
「組み合わせ」に意味がある。
二つの物語は正反対の物語になっている。
表と裏
黒と白
正反対の物語。
正反対であるが行き着くところは同じもの。
癒されている。
何が語られているのか。
表も裏も同じ。
黒も白も同じ。
敵も味方も同じ。
成功も失敗もない。
行くべきところに必ず行ける。
正反対の物語に共通していること。
亡くなった娘は12歳
12年の続きに行きたい。
病気の女性は12年間苦しんだ。
12年を終わらせたい。
「12」
聖書の文化圏では数字に意味を持たせていた。
「12」は一つの完成を表している。
全世界を表している。
12が出てくれば、その先はない。
世界の果て
ここでおしまい。
それが「12」の意味。
ヤイロも病の女性も「12」と直面している。
世界の果てと直面している。
その時の彼らの願い。
「12」が終わりなのか。
「12」の先があるはずだ。
「12」の先に行きたい。
彼らは「12」の先を経験した。
この時に主イエスが語った言葉。
「あなたの信仰があなたを救った」
「信仰」、この物語では「12」の先を、
「ない」と言われている、その先を求めること。
「救った」、その先に進めたこと。
人はどこで自らの賜物に気がつくのか。
どうすれば賜物を失わなのか。
世界の果て、「12」で気がつく。
「この先はない」と言われていることろが「地の塩」「世の光」になるところ。
誰もが知っている「12」の内側に、世界の内側に、みんなのことろに帰れば安定は得られる。
だが塩は砂になり、光は机の下に隠されてしまう。
「12」の先がある。
世界が尽きるところで「塩」は味を醸し出し、「光」は放たれる。
この先がある。
希望を持つものが自らの賜物を蓄えていく。
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