神の出番

4月23日

創世記19章1ー29節  

神の使いがソドムに到着をする。

ソドムを滅ぼすためにやって来た。  


神には神の計画がある。

神はそれを実行する。

それは人にとって嬉しいことばかりではない。

時にその実行から離れたい、逃れたいと思うこともある。

現実が向かっている先は分かる。

しかし、私はそこには行きたくない。

願いが始まる。

祈りが生まれる。 


「祈り」。

私たち信仰者は祈りの習慣を持っている。

その私たちは祈りをどれほど信じているだろうか。

祈りが神に届いているとの信頼をどれほど持っているだろうか。  


神の裁き。神の実行が始まる。

その中で、ロトもアブラハムも神に願う。

アブラハムは50人の義人がいても、その者と一緒に町を滅ぼすのか。

それは正義ではない、と神に訴える。

10人の義人がいれば町を滅ぼすことはしないと、神は約束する。

町を裁く直前に神の使いはロトに逃げるように促す。

それに対してもっと手前の小さな町に逃れさせてくれとロトは要求する。

神の使いは、それを聞き届け約束をする。  


アブラハム、ロト、彼らは神に小さいものに注目をして欲しいと願う。

それを聞き届ける神。

神は小さいものを見分ける。

私たちがどんなに小さくとも、私の祈りが些細であっても神はそれを見逃さない。


 アブラハムの祈り、神との約束。

10人の義人がいれば裁きを中止してほしい。

実際はその者たちはいなかった。

ゆえに裁きは実行された。

全てを焼き尽くす裁き。

全てがなくなるはずだった。

それがアブラハムとの約束だった。

ところが神はロトの家族だけは救い出そうとする。

約束にはないことをする。

約束以上のことをする。


 人は祈る。

祈りは聞かれているのかと不安になり、時に叶えられないと怒り出す。

私の祈りのサイズ、そのサイズと同じものが与えられれば私たちにもすぐ分かる。

すぐ分かる等価交換、それはビジネス。


神は人と取引はしない。

神は私たちの小さな願いを知っている。

それを知って大きなものを与えてくださる。

人の望みを遥かに超えたもの。

超えているから気がつかない。

超えているから分からない。  


祈りは聞かれるのか。

祈り以上のことが起こっている。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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