「重なる」

2017年11月5日

使徒言行録3章11-26節

人は離れる。

分かれていく。

バラバラになる。

わたしたちはいくつもの別れを経験してきた。

これからも別れはあるものと覚悟をしている。

そして分かれたら、離れたらもう会えないものもある。

回復されない離れ離れがあると認知している。

それが私たちの現実感

世界観。


主イエスの弟子ペテロとヨハネは神殿の門の前で座り続けていたものを立ち上がらせた。人々はその奇跡に大変驚き彼らの周りに集まってきた。

そしてペテロの話に耳をそばだてる。

だがそこで聞かされたものは奇跡以上に彼らにはショッキングな内容であった。

ペテロは語る。

「足の不自由なものが立ち上がったのは私たちの力ではない。

主イエスの名を信じたから彼は立ちあがった」。

イエス。

この者を彼らは十字架で殺した。

いらないもの社会の害だとして十字架で殺した。

自分たちが殺したものがこんな力を持っていたとは。

驚き、悲嘆にくれている人々にペテロは言葉を続ける。

「あなたたちがイエスを十字架につけること。

それを神は知っていた。

そして預言者たちが語っていたのはイエスのこと」。


人は先走る。

暴走する。

その暴走に神は追いついて来る。

勝手な行為を見捨てず追いつき、対処する。

重なる。


過去の預言者の言葉。

当時の人々は良い言葉だと承知はしていたが実現するものだとは思っていなかった。

宛てのない言葉だと思っていた。

宛てのない過去の言葉は今、ここを語っている。

重なる。


世界はバラバラか。

聖書が語る世界は「重なる」世界。

人が離れても神は追いつく。

離ればなれにはしておかない。

敵、味方、バラバラの世界の現実。

敵を愛せとの主の言葉。

これもバラバラが世界の本質ではないとの指摘。


本日は召天者記念礼拝。

これは離れていった方々との別れを惜しむときではない。

また重なる

会える

笑える

希望を確認する時。

それが神さまからの約束

この世界の本当のかたち

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