3月6日 主日礼拝

3月6日主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書12章9-14節

神が求めるのは愛であって、生贄ではない。
この意味が分かるか、とイエスは私たちに問うている。
私たちは生贄を生み出す。
生贄が必要だと言い出す。
ファリサイ派の人々。
厳格に決まりを守る人々。
決まりから外れるものを許さない。
決まり
人が作り出したもの。
完璧のはずがない。
にもかかわらず、それを完璧だと思い込む。
私は完璧ではない。
にもかかわらず、それが完璧だと思い込む。
完璧でないものが完璧だと思い始めると争いが生まれる。
戦争を始める原因。
完璧な原因などない。
間違いのない戦争の理由などない。
にもかかわらず戦争は完璧な理由によって始められる。
完璧のために、
辻褄を合わせるために、
はみ出したものを切り落とす。
誰かが犠牲になっても仕方ない。
誰かが犠牲にならなければ完璧は得られない。
完璧を実現する。
それを神は望んでいる。
ファリサイ派の発想。
神が求めるのは犠牲ではない。
人が作った完璧など神は求めていない。
手の萎えた人がイエスの前に座らされていた。
今日は安息日。
働いてはならない日。
この日に人を癒すのか。
ファリサイ派の人々はイエスがその者の手を治せることは分かっていた。
それを行えば安息日の決まりを破るもの。
完璧のために命を奪える。
論理、辻褄、答え。
それは頭でしつらえたもの。
ファリサイ派はこれが絶対だとする。
イエスは問う。
神が求めるのは生贄ではない、愛だ、と。
手の萎えた人に呼びかける。
「手を伸ばせ」
奇跡ではない。
イエスは自分のできることをする。
論理、辻褄、答えから行動を起こすのではない。
自分の心にあるもの。
私の塩、私の光。
私の使命。
人からのものではない。
自分の中にあるもの。
神から与えられた賜物。
それをただ行う。
イエスにしか出来ないこと。
私にしか出来ないこと。
そのものにしか出来ないことを果たす。
そのものだけにできること。
それを人は奇跡と言う。
奇跡はイエスだけのものではない。
地の塩、世の光を見出したものが行う。
誰もが行わなければならないもの。
「手を伸ばせ」
するとその人の手が動き始めた。
私にしか出来ないもの。
必ず愛のかたちとなる。
私の奇跡が平和を作り出していく。
【ご案内】
ホームページから献金ができる仕組みを作りました。
こちらもどうぞご利用ください。
 
本多記念教会
サイト
https://www.hondakinen-church.com/
facebook
https://www.facebook.com/hondakinen/
YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCRRjBPZolWZWF7Z1jedKfqg

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000