4月3日 主日礼拝

4月3日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書12章38-42節

心を整える。
主イエスとフィリサイ派の人々の対話。
ここに心を整えるヒントがある。
ファリサイ派の人々はイエスに求める。
「しるし」を見せてくれ。
「しるし」
その先にあるものに必ずたどり着ける前情報。約束手形。
幸せにたどり着く前情報としての成績、経済力。
数字でしかないものなのにその約束手形があれば、必ず「幸せ」にたどり着けると私たちに思い込ませるもの。
その「しるし」が欲しいとファリサイ派の人々は言う。
これに対して主イエスはヨナの話を持ち出す。
預言者ヨナは神様からニネベに行って、
この街を滅ぼされると語って来いと命じられる。
ニネベに行ってそんなことを語れば街の者から何をされるのか分からない。
ヨナはニネベに行くことを拒み、神様の前から逃走をする。
船に乗り込んで逃げ出そうとするが大嵐に遭う。
嵐の原因が自分だと悟ったヨナは自分を海に放り出せば、この船は助かると告げる。
海に投げ出されたヨナは大きな魚に飲み込まれる。
三日三晩、魚の腹の中で過ごしたヨナは陸地に吐き出される。
そこはニネベ。
ヨナはそこで神の裁きを宣告する。
危害が加えられると思い込んでいたヨナであったが、ニネベの街の人々はその言葉を受け入れる。
断食をし、灰をかぶり改心をする。
これを見た神は、その街を滅ぼすことを中止する。
予定を変えた神に対してヨナは怒り出す。
日照りの中、とうごまの木の下で涼んでいたヨナの目の前で神はそのとうごまの木を枯らしてしまう。
日照りにさらされ怒り収まらないヨナに神が問う。
お前は一本のとうごまが無くなったことで怒っているが、この街には12万もの私の民がいる。
この者たちを惜しむ私の判断は間違っているのか、との問いを投げかけてヨナ書は終わる。
ヨナは自分の使命を果たした者。
拒みながらではあるが自分の使命を果たした。
地の塩、世の光
自分の賜物を全うするための「しるし」は何か。
ヨナの話がそのしるし。
どんなことがあっても神は私たちにその使命を果たさせる。
だが、問題はその心。
使命を全うしたヨナに勝るものがある。
ニネベの街がヨナに勝るもの。
彼らは自分たちが今、何をしなければならないかを見出し、それを行った。
しるし
私以外の、その目的以外の何か。
なんでもないものに皆がすがり、それを偶像化する。
しるしとは何か。
人が執着、固執して、神にしてしまうもの。
偶像を求める心。
信じていない。
自分を信じていない。
自分を造った神を信じていない。
自分に心が定まっていない。
それが「しるし」を求める浮ついた心になる。
心を整える。
私に心が定まれば、「今」が見えてくる。
「今」私は何をしなければならないのか。
今しかできないこと。
私にしかできないこと。
私の使命が見えてくる。
整えられた心が私を導いて行く。
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