4月10日 主日礼拝

4月10日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書12章43-45節

受難週を迎えた。
主イエスの最後の一週間。
エルサレムに入城した主イエスを人々は歓迎する。
それが金曜日には同じ主イエスを「殺せ」と叫びたてる。
心が変わる。
2000年前のエルサレムの人々の心だけではない。
私たち誰しもが同じ心を持っている。
その心とはどういうものなのか。
それを語るのが今日の聖書の箇所。
悪霊を追い出すことに成功した心。
ところが、その心が空き家のままだと、悪霊が多くの仲間を連れてきて、そこを占拠する。
エルサレムの人々の心は悪霊を追い出しながらも、
もっと多くの悪霊に襲われた心に他ならない。
地の塩、世の光。
私たちには神様から与えられた賜物がある。
私だからしなければならない使命がある。
人に怯え、
富に執着していた時には見えなかったもの。
執着は信じることができない時、
心を平安に保てない時、
何かに頼り、すがり
執着する。
自分には使命がある。
それに気がついた時、人からの批判も、富も洗い落せる。
執着をしない。
それを心に定める。
しかし、これで本当に解決したのか。
執着をしないが大切だと思えば思うほど同じ課題が生まれている。
「執着をしない」に執着し始めている。
執着が終わっていない。
新しいものとの出会い。
救われたことの実感。
これを喜ぶのは普通のこと。
だが、喜んでいるだけなら、
実は悪霊を追い出しただけの空き家と同じ。
悪霊が仲間を連れてやってくる。
ならば悪霊を追い出した後の心はどのようにすれば良いのか。
その心のあり方は受難週の主イエスの姿にある。
ゲッセマネの祈り
捕らえられる直前の主イエスの祈り。
「苦き杯を取り去りたまえ」
「御心がなりますように」
相反する祈りを繰り返す。
答えの出ない、問いを繰り返す。
心を空き家にしない。
悪霊が住み込む心にしない。
問い続ける。
答えが出たと思えば、心は過去に置き去りなる。
答えの出た「時」に止まってしまう。
「今」を生きていない。
今が空き家になる。
地の塩、世の光。
これを実現する。
それは絶えず問うこと。
私の塩味は十分に醸し出されているのか。
私の光は本当に輝いているのか。
これが本当の私か。
今を生きる。
今を問う。
その営みが私の心を真の心にして行く。
主イエスは真の道を選び取った。
十字架、そして永遠の命。
問い続ける心は永遠へと私たちを導いて行く。
 
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