5月1日 主日礼拝
5月1日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書13章1-9節
イエス様の「種まき」の譬え。
道端に落ちた種は芽も出さずに鳥に食べられてしまう。
石地に落ちた種は少しは芽を出すが土が少ないからすぐに枯れてしまう。
薔薇に落ちた種は薔薇に塞がれて成長できない。
良い地に落ちた種は100倍、60倍、30倍になる。
耳のあるものは聞きなさい。
イエス様自身の解説はこの後に続いている。
ただ譬え話である以上、解釈をすることは私たちにも許されている。
これまで主イエスが語ってきたことから、この譬え話の内容を探していきたい。
種
神様からの言葉。
これを「地の塩、世の光」と置き換えてみる。
人は誰しも自分の賜物
自分の使命を神様からいただいている。
私の塩味、私の光
私だからできることをいただいている。
だが、私たちはそれを見失う。
堅い心
怯えた心
それは自分の使命を分からずに失ってしまう。
道端に落ちて鳥に食べられた種。
自分の賜物を発揮する。
人に褒められ称賛される。
有頂天になり、いつしか人の評価ばかりが気になってしまう。
人に心が奪われた心。
石地に落ちて芽が出ても結局は種を枯らしてしまう。
自分の賜物を発揮する。
批判、非難に直面する。
人の言葉に怯え進めなくなる。
薔薇に落ちた種。
私の賜物は自分以外のものに心を奪われると簡単に私たちは失ってしまう。
良い地に落ちた種は100倍、60倍、30倍になるという。
良い地とは何か。
奪われない心。
人は心が硬くなれば「種」「自分の賜物」が見えなくなる。
柔らかい心が必要。
どうしたら柔らかい心を持つことができるのか。
聞く耳のあるものは聞きなさい。
聞くこと。
耳を開くこと。
私の中に言葉が蠢いていれば聞くことはできない。
私の中にあるものを捨てていく。
洗い落としていく。
自分が無くなった時、耳は開いてくる。
聞くは黙る時に始まる。
私の賜物。
それは人を無視して唯我独尊になることではない。
聞けない。
私は正しいと思っている心にはまだ何かが貼り付いている。
さっぱりした心
柔らかい心になる。
私の味、光を知る。
私を捨てた時、本当の私に私は出会える。
本多記念教会
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