「心潤す命の泉」

2018年1月14日  森下 静香神学生

エレミヤ書17章5節~14節; ヨハネによる福音書4章13節、14節

 「おめでとうございます」とは、祝福の言葉。

 エレミヤ書17章には、二人の男が対称的に描かれる。

祝福された男と呪われた男。

どちらに身を置いて読むか。

呪われた男は自分ではない、他人のことであると読みたいところだが、

そう考えることがないようにというのが預言者エレミヤのメッセージ。

9節はルター訳では、人の心は突っ張っているか、いじけているかのどちらかだという。

いずれにしても病気である。

誰がそう言うのか。

5節の始め。

主が言われる。

主なる神から見る人間の姿は残念ながら病気である。


 人間は神ではなく、自分や他人を頼る。

自分の信仰の腕前をも誇ろうとし、神を忘れる。

呪われた者、神を失った者の姿は「裸の木」。

荒れ地に立つ一本の裸の木は現代日本人の姿、また神信頼を失った私たちの姿。

孤独である。

祝福された者もまた炎暑の中にある。

しかし裸にはならず、干ばつの時にも実を結ぶ。


 なぜか。

地下に根を張り、命の源である泉につながっているからだ。

主イエスは言う。

「この水を飲む者はだれでもまた渇く。

しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。

わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

幸いなのは、自分が呪われた男だと自覚できる者である。


 主イエスは、重い病を知っておられる。

私たちの病と罪を負って十字架にかかられた。

十字架が示すのは、私たちに対する呪いではなく、祝福と変えられた。

皆さんがどこに立たされているとしても、十字架の元に根を延ばすことができる。

そこに主なる神の祝福と安らぎがある。

死をも超えた安らぎ。死に打ち勝つ祝福。

死からいのちへ。

主イエスが十字架上で私たちの病、

罪のために死んでくださったので、

私たちは死からいのちへ移った。

この祝福を今日、しっかりと受け取めてほしい。


 主なる神イエス・キリストがあなたを全くいやし、回復し、

新しい命へと導いてくださる。

神の確かな約束である。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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