「何故、捨てられないのか」

2018年1月21日

 使徒言行録5章1~11節 

アナニヤとサッフィラ夫婦、土地を売った代金をごまかして教会に申告する。

その虚偽はすぐに暴かれ彼らは息絶える。

ペテロは彼らに告げる。

「土地を持っていても良かったのに」

「売った代金で生活していても良かったのに」。

「どうして嘘をついたのか」。

アナニヤとサッフィラ、何を目論んでいたのか。

神様も大事。

お金も大事。

両方を大切にしようとしていた。

これは特別なことか。

私たちもしている。

神様を信じている。

それでも震災はあるではないか。

予期せぬ不幸が襲ってくるではないか。

神様がいても自分で自分のことを守れなければならない時があるではないか。

神様は肝心な時に守ってくれない。

だから、私はお金を貯める。

お金を頼りにする。

人生から学んだ常識的な判断。

だが、聖書はそれは間違いだと言う。

どうしてなのか。 


神を欺こうとした夫婦がもう一組ある。

アダムとエバ。

神様から「食べてはならない」と言われた善悪の知識の木の実を食べてしまう。

食べて、それを隠そうと神を欺こうとする。

欺きの原因。

神の期待に沿っていないと知っている。

それでも、期待に背くことをする。

何故か。

エバは蛇と話をする。

話をする前、彼女は「善悪の知識の木の実」を見ても食べたいと思わなかった。

それが話をしてから「食べたい」と思い出した。

蛇との話で何が起こったのか。

蛇は語った。

「その木の実を食べると神のようになれる」。

この言葉に隠されているもの。

「あなたには可能性がある」

「あなたはまだ十分ではない」

「あなたはまだ欠落している」。

エバは自分の心に欠落、「穴」が開いていると思い始めた。

その穴を埋めてくれるものが「知識の木の実」。

これを食べれば穴が埋まる。

 未来への不安。困難。危機。


人は心に穴を覚えそれを埋めようとする。

アダムとエバは「木の実」で、

アナニヤとサッフィラは「お金」で。

神が何もしてくれないから。


本当か。


人の心には本当に穴が開いているのか。

天地の初め神はご自分の造ったものを見て「良し」と言われた。

欠けていない。

穴は開いていない。

だから神は何もしない。

本当は欠落も不足もない。

今ここにあるものは全て私に必要なもの。


感情では受け止められなくとも

理論では整合性が見出せなくとも

信じて「今、ここ」に立つ。

まことの人の在り方。 

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