「示されている」

2018年1月28日

創世記24章50-67節

私たちはどのようにして未来に進んで行くのか。

アブラハムは妻サラが亡くなったことを契機に息子イサクに嫁を迎えることを考える。

未来を作り出そうと考える。

財産をすべて管理させている僕を呼んで

アブラハムの故郷から相応しいい女姓を見つけてくるようにと命じて送り出す。

果たして僕はベトエルの娘、ラバンの妹、リベカと出会う。

双方の話は進みすぐに出立の運びとなった。

ところがここにきて兄のラバンが出発を遅らせてくれるように僕に願い出る。

僕はこの要請を断り、リベカと共にアブラハムの所に帰っていく。


ラバンがアブラハムの家族の予定へ変更を働きかけるのはこれだけではない。

イサクの息子ヤコブが ラバンの娘レアとラケルと結婚をした際にも

同じようにヤコブの願いを退けようとした。

同様の話はモーセがエジプトを出る際にも

ファラオが何度も約束を反故にして願いの実現を阻んだことにも見出される。

聖書は先に進もうとしている者たちに対してそれを阻む者を頻繁に登場させる。

彼らは敵なのか。


彼らの気持ちを考えてみれば、その振る舞いは決しておかしなものではない。

リベカと突然の別れを強いられた兄。

働き者のよくできた甥ヤコブ、それが娘たちと結婚をして今や息子になっている。

ラバンが妹や甥と別れたくないのは当然である。

ファラオとて大事な労働力を手放すのをためらうのは普通のこと。

最初は同意をしていてもよく考えたら、反対をしたくなる。

当たり前の行動でもある。


よく考える。

私たちも未来が迫って来る時、

当然の行動として考える。

それが必要と思っている。


これに対してアブラハム。

彼は僕を送り出すときに一つの提案を示されていた。

「もし見つけ出した女性がこちらには来たくないないと言ったなら、

イサクを呼び寄せても良いか」。

家族の繁栄を考えるなら、

自分の故郷に息子を送ることは一考に価する。

ところがアブラハムはこの提案に即答する。

「それはしない。この土地で栄えること、それが神の約束だ」。


ラバン、ファラオ、アブラハム、その僕、未来と真剣に向き合った。

ラバン、ファラオ、彼らはよく考え状況判断で進もうとした。

それに対してアブラハムとその僕は即座に断る。

アブラハムたちの基軸は何か。

考えていない。

ただ信じている。

信頼している。

私が預かった神との約束。

私の使命。

どのようにして未来へ進むのか。


状況判断、思考か。

神が私と交わした約束への信頼か。


どのようして私は未来に進むのか。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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