「すでにあった未来」

2018年3月11日

使徒言行録7章44-8章1節  

ステファノの殉教。

痛ましいで出来事。

間違った行為。

罪。

これはかつて歴史の中の一出来事なのだろうか。

この書物を記してたルカは恐らくはそう考えてはいない。

これは今も起こること、起こっていること。

世界のあり様がここに語られている。


ステファノが殺された原因。

彼の行った説教にある。

その説教はイスラエルの歴史を語ったもの。

聞くものも誰しもが承知をしていたはずの歴史の話。

だが、それを聞かされて人々はステファノを殺す決意をする。

ステファノは何を語ったのか。


ステファノは語った。

アブラハムについて。

ヨセフについて。

モーセについて。

神殿について。

イスラエルの歴史は膨大なもの。

ステファノは選んで語っている。

意図を持って語っている。

ヨセフ、モーセ、神殿。

これらに共通するものは何か。

拒絶と直面をしている。

ヨセフは兄弟たちに拒絶をされエジプトへと売られた。

モーセは神の御心を実行しながらも人々から絶えず批判、拒絶をされている。

神殿は人々が望んで作ったものだが、神の思いを拒絶して建設されたもの。

イスラエルの歴史は拒絶の歴史。

これを聞いたもの

拒絶の子孫

拒絶の主人公。

そい言われ、「そんなことはない」と拒絶する。

拒絶の実証を行った。


拒否、拒絶。

その繰り返しでイスラエルは歴史は進んでいく。

拒絶が重ねられながらもそれに塗りつぶされていないのもイスラエルの歴史のもう一つの側面。

ヨセフは兄弟の拒絶の後、エジプトで大臣に上りつめイスラエルを助ける。

モーセもまた拒絶に合いながらもイスラエルを約束の地に送り届ける。

拒絶にあいながら進むべきものは進んでいる。

拒絶を乗り越えて真実なるものは進んで行く。


2011年3月11日は私たちが大きな拒絶と直面した日。

その拒絶は今日まで、これからも襲いかかってくる拒絶。

しかし、ルカが、聖書が語る世界は、

拒絶の只中で拒絶をも糧にして拒絶を乗り越えて進むものがこの世界だとしている。


神への拒絶、十字架、イエスの死。

人の歴史は神をも拒絶した。

しかしそれでも歴史は進んでいる。


罪への赦しがあるから。

愚かさへの愛があるから。


進めなくなったと思う時、

世界のまことの秩序を思い出したい。


未来はすでに語られている。

私たちは進むことができる。

進んでいる。 

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