11月20日 主日礼拝

11月20日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 18章21ー35節

私に罪を犯した人を許すのは7回ですか。
ペテロが主イエスに尋ねる。
7回ではない。
7の70倍許せ。
それが主イエスの答え。
これに続いて例え話を語り出す。
主君に借金をしていた僕。
約束の期日が来ても返済できない。
懇願して主君に許してもらう。
その僕が金を貸していた友人に出会う。
彼はすぐさま「金を返せ」と迫る。
返済ができない友人は僕に懇願するが、彼はそれを聞き入れない。
友人を牢屋に投げ込んでしまう。
その話が主君の耳に入る。
返済を帳消しにしてもらった僕は主君から「何故、自分がしてもらったように人にできないのか」と叱責され牢に繋がれる。
マタイ18章は神様の心について語っている。
神がこの世界をどのように見ているのか。
聖書の考える「世界観」が語られている。
主イエスの譬えから見える世界観。
この世界はどういう世界か。
神の忍耐、我慢によって、今の世界はある。
私たちは「罪人」である、とクリスチャンは常套句のようにして語る。
私たちは本当に自覚をしているのだろうか。
罪があるのに、どうして自分は裁かれないのか。
法の裁きを受けるほどのことはしていない。
だが、神の目を誤魔化すことはできない。
ならば神は何故、裁かないのか。
何故、私は今日も昨日と同じ日常を手にしていられるのか。
神が我慢をしているから。
神の忍耐。
忍耐である以上、それはいつ終わってもおかしくない。
この世界は神の忍耐の元に今日を維持している。
何故、神は我慢をしているのか。
マタイ18章で主イエスが繰り返し語ってきたこと。
小さいものを蔑ろにするな。
小さいものをつまずかせる者は
石臼を首に巻いて海に沈め、と激しい言葉で語る。
百匹の内から迷い出た一匹の羊、小さい者を羊飼は懸命に探すと言う。
小さい者を大切にする。
たった一人のものでも疎かにしない。
それが神だと主イエスは語る。
神は何故、忍耐をしているのか。
小さいもの、迷い出たもの、借金を返せないもの、罪を犯したもの、
その者を放ってはおけない。
忍耐
別の言葉で言うならば、期待をし続けている。
応援をしている。
愛している。
それゆえ、神は忍耐をする。
忍耐をして神は何を得るつもりなのか。
罪を犯した、失敗をした私に何を期待しているのか。
「あなたは地の塩、世の光」
私にしかない賜物。
私の使命。
それはこの世界で必要だから私に託されたもの。
それを果たせ。
そのために神は私に期待をし、私を応援している。
そのために神は忍耐をしている。
私だけではない。
隣のものも、全てのものが神の我慢のうちにある。
神の我慢によって世界はできている。
ならば私に罪を犯した者を私は裁くことなでできるのか。
我慢をしてもらっている私が、人を裁けるのか。
隣人に腹を立て、裁くことに時間を費やすことより、神の忍耐に応える方が先ではないのか。
私の使命を果たす。
人に怒っている場合ではない。
私が私の使命を果たす。
それが、神の忍耐のうちにある私が何よりもしなければならないこと。
神の忍耐
その猶予がどれほどあるのか、誰も知らない。
猶予が今日もあるのなら
今日しなければならないことを果す。
それが今日の生き方。
世界の在り方。
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