12月11日 主日礼拝

12月11日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 2章1ー12節

東方の賢者が誕生した嬰児を探しにやってくる。
大昔の預言者の言葉が真実である可能性が出てきた。
遠くのもの。
大昔のもの。
離れていたものがすぐそばに来ている。
私たちの世界観は「断絶」を前提にしている。
幸福と「私」との間には断絶がある。
国と国の間。
時代、世代との間。
断絶があることを前提に物事を整理している。
断絶と橋渡しをしてくれるもの。
富、権力、仲間、数字、経験、常識。
それらは断絶の橋渡しをしてくれるものとして私たちは大切にする。
創造物語においては神と人の断絶を埋めるものとして「善悪の知識の木の実」が登場した。
私たちの世界には「断絶」がある。
だが、それは神が造った世界とは違う。
本当の世界とは違う。
遠くのもの、遠い時代のもの、それがつながっている。
断絶はない。
聖書がそういう世界観を持っていたとしても
私たちはそれをどのようにして共有することができるのか。
ヘロデ王
東方の賢者の言葉を聞いて不安を覚えた。
自分の知らないところで自分に替わるものが生まれている。
許せない。
これを亡き者にする。
ヨセフ、マリア
自分の予定と違う現実が突きつけられる。
神の言葉が人を喜ばせるものだと期待をするのは私たちの幻想に過ぎない。
神の言葉に出会った聖書の人物たち。
アブラハム、モーセをはじめ数々の預言者、
彼らは皆、神の言葉に出会い困惑している。
マリア、ヨセフ
神の言葉と出会い、戸惑い、途方にくれる。
そして彼らは皆、同じ答えにたどり着く。
「お言葉通り、この身になりますように」
私たちはどのようにして「断絶」の世界から神の造られた世界を経験することができるのか。
「私」という存在に固執する。
それが断絶を作り出す。
神の言葉を引き受ける。
私たちは実は皆、知っている。
これが私のしなければならないことだと。
これが神から与えられた私の使命だと。
気がつかないフリをしているが皆、知っている。
自分の夢を捨てなければならない。
自分らしさが失われてしまう。
自分が自分でなくなると怯えて私の使命に気がつかないふりをしている。
それは逆だと語ったのが主イエス。
神の言葉、私の使命を引き受ける。
その時、私は本当の私に出会う。
予定も、想像もしていなかった大きな喜びを味わう。
私て、こういうものなんだと私を知ることができる。
「お言葉通りにこの身になりますように」
自己放棄の言葉ではない。
真の自己を求める言葉。
自己に満足をするための言葉。
一番、楽しいものを知るための言葉。
私は断絶の淵に立たされて暮らしているものではない。
神と繋がり、本当の私とつながっている。
クリスマスの準備。
本当の私と繋がる準備の時。
喜びへと歩み出す準備の時。
 
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