1月8日 主日礼拝

1月8日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 19章1~12節 

「モーセが言っているように離縁状を渡せば、離婚していいんですよね」
ファリサイ派の人々が主イエスに問いかける。
「神が合わせた者を人が離してはならない」
主イエスが答える。
これに対して弟子たちが問いかける。
「だったら結婚などしない方がましです」
結婚するのが当たり前。
子供を作り、家庭を築くのが当たり前。
家庭を築けないものは人としての価値がない。
その見返りとして、家庭をちゃんと築いたら、妻と離れても良い。
そういう風習が背後に見受けられる。
主イエスは、この風習に対して問いかける。
「そもそもモーセが離縁状について触れたのは、あなた方が頑なだったから
始めから、男女はそういうものではない。
神によって男女に造られた。
二人は一体となる。
それが人の在り方」
神が合わせたもの
風習を重んじているものは「神が合わせた」をどう考えているのか。
「神が合わせた」
裏にある言葉は「人が合わせた」ものたちがいる、ということ。
周囲の人々によって合わされたものもいる。
自分で理由付けして、この人と結婚をせねば、と考えたものもいる。
風習に合わせる。
それだけで結婚をしているのなら、
それは神が合わせたものではない。
人によって作られた関係。
人に自分を任せる。
自分はどこに行ったのか。
神はどこに行ったのか。
天地創造の時から、男女は一つとなる。
それが秩序だ、と語った後、主イエスは
結婚をできない体の者もいる、結婚をしないと決断した者もいる。
その者たちはそれで良い、と言う。
「結婚をする」
唯一無二の「答え」ではない。
どこかに「答え」があるのではない。
「私」とは
「幸福」とは、こういうものと
誰かが、どこかで、答えを教えてくれるものではない。
「神が合わせた」
人ではなく、神。
私の運命とはこれなのか。
これなんだ。
自分で探すもの。
自分で判断するもの。
自分で生きるもの。
風習に従う、従わない。
人の勧めに従う、従わない。
どちらでも良い。
風習、人、周囲はどちらでも良い。
私が神から何を聞くか。
私がしなければならないと腹の中から思えるもの。
それが神が与えた私の使命。
私は神から何を聞くのか。

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