1月15日 主日礼拝(オンライン)

1月15日 主日礼拝
礼拝説教(オンライン) 
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書19章13ー16節

子どもがお手本。
イエス様は子どもを大切にします。
イエス様は「子ども」の何に注目をしろと言っているのか。
マタイ福音書には子どもを大切にするイエス様の言葉が二回出てくる。
二回の間に挟まれたいくつかの出来事。
ここにイエス様が考える「子ども」が記されているのではないか。
小さいものを大切にしろ、とイエス様は言います。
100匹の羊の内、1匹がいなくなったら、見つけ出すまで探すと言います。
誰かが不正を働いたら、仲直りするまで手を尽くせと言います。
自分は許されているのに、仲間を許さないのはどうしたことか。
心で許されてることを実感し、心から許せと語ります。
子どものように。
今、ここであげたイエス様の言葉は恐らく、子どもと大人とでは聞き方が違います。
子どもは、ここで語られていることが当たり前だ、自然にできると感じているでしょう。
ところが大人は、計算をします。
コストパフォーマンスとして小さいものに手間をかけるのはいかがなものか。
ブランド力を維持するために和解ばかりではなく、時に戦うことが必要なのではと考えます。
なぜ大人は子どものようになれないのか。
自分以外のものが張り付いているからでしょう。
富、名誉、経験、評価
自分ではないものが心に張り付き、それに心が奪われて行く。
当たり前のことが、自然のことが、遠回りをして、脇道にそれてしまう。
子どものように。
本当に大切なものは、子どもの時から持っている。
子どもの時から
生まれた時から
生まれる前から、人に備わっている。
自分に本来、備わっているもの。
自分だけが与えられている賜物。
それを磨く。
自分以外のものを意識すると賜物を曇らせる。
大人がしていること。
子どものように。
イエス様は「子どものように」を私たちに思い出させ、何をしようとしているのか。
「子どもの話」が二回出てきた。
この1回目から2回目までの話の流れの中で一貫して出てきているのは「天の国」。
子どものようになる。
それをイエス様は私たちに勧める。
私たちは子どものようになったら何ができるようになるのか。
天の国を表せる。
天の国になる。
天の国
世界、宇宙の本来の姿。
宇宙の秩序。
天の国。
それを私が実現する。
その使命が私に与えられている。
子どもを大切に。
小さいものを軽んじるな。
私は何を小さいものと思っているのか。
自分自身ではないのか。
私は小さい。
その私を軽んじるな。
小さい私、子どもの私
その私が神との約束を預かっている。
天の国を表す。
神から私に委ねられていること。
子どものようになる。
私は自分を思い出せるか。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000