予定外

2018年4月22日

使徒言行録9章19-31節

 

目が見えるようになったサウロ。

彼はどのような世界を見たのか。

「見える」とは何が見えることなのか。


サウロはすぐに「この人こそ神の子だ」と宣教を始める。

サウロが回心したとは教会の側の言い方。

サウロがそれまで属していたユダヤ教の側からは、裏切り者。

間違った道に入り込んだ愚か者。

ユダヤ教の者から、

旧知の者から命を狙われる。


一方の教会はどうか。

回心したとは言え、それはさウロの内面で起こったこと。

誰もそれを信じられない。

教会においてもサウロは受け入れられない。

四方八方敵だらけ。

見えるようになったサウロがみている世界。


そのような世界でサウロは伝道をする。

敵を増やすかのような行いをする。

何故そのようなことを行うのか。

見えるようになったサウロが見ているもう一つの世界がある。


サウロの宣教の第一声は「この人こそ神の子」。

サウロの目が見えなくなった時、彼は主イエスと直接に言葉を交わした。

「この人」。

もう姿が見えなくなったはずの主イエスを「この人」と呼ぶ。

サウロには主イエスは遠い存在ではない。

直接話せる、すぐそばのもの。

敵が四方八方から迫っている。

それは現実。

そしてさサウロにはもっとはっきりとした現実があった。

敵よりも何よりもすぐそばにいる方がいる。

主イエス、神がすぐそばにいる。

すぐそばにいる神は何をなさる神なのか。


敵だらけのサウロを弁護する者としてバルナバの働きを物語は記す。

使徒言行録は神の働きを明快に語っている。

主イエスが離れた後、12弟子以外の者が登場してくる。

ステファノ、フィリポ、サウロ、バルナバ。

次々に目覚しい働きをするものが現れる。

神は何をなさる神なのか。

新しいものを起こす。

次々に起こす。

次々に新しいことをなす。

日々、新しいことを創造する。


すぐそばに神様がいる。

すぐそばで新しいことが創造されている。

そばにとどまらない。

私自身の中でも起こっている。

私が新しくなっている。


罪、過ち、過去、人を閉じ込め、古いままにしておこうとする力。

新しくなったサウロをユダヤ教は受け入れない。

新しくなったサウロを教会は信じられない。

誰も理解してくれなくとも、応援されなくとも

サウロのすぐそば、

彼の中で起こっていることは

常に新しいものが造られている。

古いものに付き合ってはいられない。

すぐそばで新しいことが常に生まれている。

サウロはその世界を見ていた。

その世界を語った。


見えるとは何が見えるのか。

語らずにはいられない。

喜ばずにはいられない

次から次に押し寄せてくる恵みを見る。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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