起き上がれる

2018年5月6日

使徒言行録9章36-45節

 イースターから40日後、主イエスは天へと昇られた。

今年の暦では今週の木曜日がそれにあたる。

主が天へと帰られた後、

聖霊が下り教会の時代が始まる。

使徒言行録はその教会の時代を記す書物。

教会の時代、何が起こったのか。

主の後に下った聖霊は何を行ったのか。


ペテロが二つの奇跡をなす。

二人の女性、アイネアとタビタに奇跡をなす。

二つの出来事はよく似ている。

聖書は時々こういう書き方をする。

似ているものを隣接させてそこからメッセージを語りかける。

二つの物語は読者に何を語りかけているのか。


二つの物語が持つ共通点。

アイネア、タビタ、この二人は病が原因で床に伏している。

そこにペテロがやってくる。

そして語る。

「起きなさい」と。

この二人は起き上がる。

それを見ていた人々は「立ち返る」「主への信仰を持つ」とある。

今までと違う何かと接したから「立ち返り」「信仰」は生まれたのだろう。

彼らは何を知ったのか。

彼らがそれまで見ていた世界とはどういうものだったのか。

「起きなさい」と言われて立ち上がる。

これに驚く。

なぜなら彼らは思っていた。

人は倒れたら立ち上がれない、と。

過ち、失敗、罪、犯したら一生背負う。

一生支配される。

倒れたら立ち上がれない。

ペテロは語る。

倒れているものに「起き上がれ」と。

すると起き上がる。

人は立てる。

倒れても立てる。

彼らは知った。

新しい世界。

まことの世界の本質。


しかしそれはペテロがいたからではないか。

かつての話で今とは無関係なのではないか。


二つの物語の相違点。

そこにその答えがある。


 アイネアとの出会い。

これは偶然のもの。

一方、タビタは人に案内されて行く。

会うことが想定の中にある。


アイネアは8年病で苦しんでいたがペテロと出会ったとき生きていた。

タビタはすでに死んでいた。

間に合ったもの、

間に合わなかったもの。


二つの物語には相違がある。

この相違は何を語るのか。


「偶然」と「想定内」

「時間内」と「時間外」。

正反対の状況。

正反対の状況で同じこと「立ち上がる」が起きる。

「立ち上がる」それは正反対でも起きる。

片方から片方に至るまで起きる。

それはどんな状況でも起きるということ。


聖霊は何を行ったのか。

人は倒れても立ち上がれる。

特別の条件、原因があってそれは起こるのではない。

どこであろうと、いつであろうとそれは起こる。

今、ここでも。

聖霊の業。

私はいつでも立ち上がれる。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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